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総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(19)/東西を繋ぐ橋。

国会議事堂の横に残された壁の跡

 ベルリンのシンボルとも言えるブランデンブルク門を通り過ぎて、「ベルリンの壁」を追いかけていきます。壁はドイツの国会議事堂の裏を抜けて、シュプレー川へとたどり着きます。国会議事堂はドイツの政治を決定する重要な場所ですが、そんな場所の横にあったのが東西の境界である壁でした(東西ドイツ時代は西ドイツの首都はボンで、建物は国会議事堂としては使われていませんでした)。それを考えると、「ベルリンの壁」が首都である重要な街を、その中心から二つに引き裂いていたかが分かるかもしれません。今の街並みを見ると、それを想像することすらできないでしょう。

壁の横に建つ国会議事堂。

川沿いに築かれた壁

 シュプレー川を見ると、そこに建ち並ぶのは巨大な現代的な建物。建物のたもとの川岸はきれいに整備されており、そこを走り抜けるランナーやサイクリングをする人の姿が見えます。また川岸へと降りる階段には、川の流れを眺める多くの人の姿が見えるでしょう。散歩や運動、そして寛ぎの場にもなっているため、様々なスタイルで楽しめる現代的な公園と言えるかもしれません。このような場所は以前は誰もが利用できるような場所ではありませんでした。なぜならシュプレー川が東西の境界となっていたため、川岸には「ベルリンの壁」が築かれて立ち入れる場所ではなかったのです。

川岸の階段でくつろぐ人々。
川岸を走るランナー。

十字架が気付かせる過去

 散歩やジョギングなどに使われる場所ですが、それはただ美しく整備されているわけではありません。ここでは「ベルリンの壁」があった過去に気付かせてくれるでしょう。それは川岸に貼り付けられた幾つかの十字架のマーク。ここには壁を乗り越えようとして命を失った人の名前が印されているのです。美しく整備された場所ですが、その場所に壁があった過去を伝えることは忘れてはいませんでした。

川岸にかけられた十字架。
十字架には壁で命を落とした犠牲者の名前が書かれています。

政治の中枢の場

 現在の川岸の風景を見ると、「ベルリンの壁」があった過去に驚かされるでしょう。しかし、驚かせるのは、それだけではありません。美しく整備されている場所ですが、川の両岸に建つ建物はどちらも連邦議会に関連する建物で、ここでもドイツの政治の決定が行われているのです。連邦議会と言えば、政治の中枢でもあり、それは近付き難い場所をイメージしてしまうでしょう。ですが、ここではその横で寛ぎ、運動をできるような場所となっているのです。それは誰もが政治へ近付けること意味しているのかもしれません。

左側の建物は「Paul-Löbe-Haus」、右側の建物は「Marie-Elisabeth-Lüders-Haus」。
2棟の建物の近くに建つ国会議事堂。

東西を繋ぐ橋が意味すること

 このような場所で強く印象に残ったものがありました。それはシュプレー川に架けられた橋です。西岸に建つ建物と東岸に建つ建物は、1本の橋によって繋がっているのです。もちろん、それは二つの建物の往来という機能的な役割を果たします。ですが、橋によって接続されることで川の西岸と東岸に伸びる1棟の建物のようになっているのです。それは「西側」と「東側」と分断されたドイツの再統一を形にしていると言えるでしょう。分断となった場は、今では再統一を象徴する場となっているのです。

かつての「西側」と「東側」を繋ぐ橋。
橋は2棟の建物を1棟の建物のように繋いでいます。


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