連載 「こけしの恩返し」19 イラストとこけし編


仕事とバイト以外の、自分の活動のことも書いておこうと思う。

2011年震災があった後、私はぽち袋を作り始めた。何か少しでも人の役に立てるものが作れないか、と考えて、浮かんだのがぽち袋だった。なぜぽち袋に着目したのか、その脳内経路が謎ではあるが、ぽち袋を作って売ろう、と考えたとき、目の前がぱーっと開けていくような気がした。ぽち袋が未来を変えてくれる、という、変な確信を持っていた。

ぽち袋を売る屋号を「こけし堂」と名付けた。なぜこけしかと言うと、自分の顔がこけしに似ているから、だ。予備校時代にふとそう思ってから、何かにつけて自分のことを「こけし」と扱うことが度々あったので、ゴロもいいし呼びやすいし、「こけし堂」でいいではないか!と決めたのだった。特段、こけしが好き、という訳ではない。こけしに対する思い入れも特になく、気軽に付けてしまったこの名前が、私のその後を開いていってくれることになる。

ぽち袋を売るために、手づくり市への出店をはじめた。最初に売ったのは、地元のパン屋さんが開催した夜の森のマーケットだった。ぽち袋をジャストサイズで並べることができる棚を手づくりし、どきどきしながら会場へ向かった。そのマーケットで、私は手応えを得た。かわいい、と言って買ってくださる人がいて、自分の作ったものを売る楽しさと喜びを知った。マーケットに来ていた自然食料品屋さんがぽち袋を気に入ってくれて、お店に置いてくださるという話になった。開催者のパン屋さんにも置いていただけることになり、一作り手としてお店の人たちと関係を築けていけることがすごく嬉しかった。

その後、東京の手づくり市にも出店し始めた。ぽち袋以外の紙ものを新たに作ったりして、少しずつ商品は増えていった。でも、私は思っていた。ぽち袋は単価が低くて、手づくり市の出展料を払ったら収入なんて微々たるものになってしまう、と。単価が3000円の商品を作る人が1つ売るのと、ぽち袋210円を1つ売るのとでは、1つ売れたときの差が雲泥である。これは商売にならないぞ、、、と思い始めた。それでも、お客さんに直接会って売るという行為が楽しかったし、やりがいを感じていたから、出展料が100円という朝市に出店したりして、売る機会を見計らいながら出店を続けていた。

そんなある日、メールが届いた。それは、「こけしの絵付けワークショップをしてくれませんか?」という依頼だった。「こけし堂」という名前から、こけしを作っている人、と思われたようで、まさしく寝耳に水だった。私はこけし堂という名前だけれど、こけしは作っていないんです、と説明をしたのだが、どうしてもこけしのワークショップをしたいのだ、という熱意に押され、やったことなどなかったけれど、それだけ言ってくださるならやってみます、、という訳で、全くの絵付け未経験者が講師となってこけしの絵付けを教えることになってしまった。教えるからには、こけしについて知らなければ、と、図書館に行ってこけしの歴史や種類などを調べた。そして、自分でまずは描いてみなければ、と、白木のこけしを売っている所をネットで調べて、宮城の鳴子温泉の工房から白木のこけしを取り寄せた。こけしは立体なので、平面にしか描いてこなかった私にとって、慣れない難しさはあったけれど、初めてにしては以外とちゃんとかわいく描くことができた。そのこけしを見て思った。「これ、もしかして売れるのではないか。。?」と。

これが、私がこけしの絵付け販売を始めるきっかけである。

ワークショップをしてください、という話をいただかなければ、私は今、こけしの絵付けなどしていなかっただろう。ワークショップの依頼をくださった方は、実は100円の出展料の朝市でぽち袋を買ってくださっていたそうだ。だからつまり、ぽち袋を作っていなければ、こけしには繋がらなかった。そして、「こけし堂」という名前を付けていなければ。。。そうやって考えると、全てが全て、繋がっている。

こうして私は、手づくり市でこけしを売り始めた。こけし堂という名前が、本物のこけしを連れてきてくれたのだ。

おもしろいですね。


こけし制作の傍ら、私は絵にも力を入れ始めた。そもそも私はずっとイラストレーターになりたい、と思っていながら、本腰を入れることから逃げていた。それは、もしも夢が叶わなかったら、自分は生きる意欲を失ってしまうのではないか、という恐怖のようなものがあったからだった。現実を見たくない、自分の実力のなさを白日の元にさらしたくない、だからずっと逃げていた。でも、逃げることでどんどん自分を追いつめたし、どんどん苦しくなっていった。あるとき、もう逃げない、と決めた。きっかけは、吉祥寺のギャラリーを借りて個展をしたことだった。その会場で、奇跡のような出来事が起こったのだ。たまたまふらっと入ってきたご夫婦が、絵を気に入ってくれて、2人で何か相談してるな、と思っていたら、壁1面に飾ってあった絵9枚プラスその連作3枚の合計12枚を買いたい、とおっしゃるのだ。これには本当に驚いた。売れるなんて思っていなかったから、「いくらで売ってくれますか?」と聞かれて戸惑っていると、「じゃあ12枚で00円でいかがですか?」とスマートに提示してくださり、それはもうありがたいお値段だったので、即決させていただいた。

ご夫婦は吉祥寺にご自宅があり、展示が終わった日にギャラリーまで絵を受取に来てくださった。さささっと手早く荷物をまとめると、颯爽と絵を連れて帰っていった。気に入っていた絵だったので、売ることに実は少し抵抗もあった。手元に置いておきたい、と思ったし、絵の行く末が気になってしまったからだ。でもきっと、あのご夫婦の元に旅立った絵たちは幸せだったと思う。一度、飾った様子を見にお宅へ伺ったことがあった。とても素敵なお宅の階段に、その絵たちは飾られていた。ご主人も奥様もとても楽しんでくださっているようで、「階段が明るくなった」と嬉しそうなご様子だった。それを見て、ああ、あの絵たちはいい人の元へ行けて本当によかったな、と思った。

自分の絵を気に入ってくれる人はたくさんはいないのかもしれないけれど、発表していくことで、こうやって出会えることがある。絵を通じて新たな出会いが生まれ、関係性が生まれ、世界が広がっていく。そう思うと、この先を切り開いていくには、たとえ才能がなくても絵を描き続けていくしかない、と思った。次へ行くためには、絵を描くしかない。

私はやっと本道を歩き始めた。今まで必死で本道を見ないように脇道を歩いていたけれど、もう逸れない。そう思った時から、私は変わっていったと思う。イラストレーターになるためにはどうしたらいいか考え、自分1人で描いているだけでは限界がある、と思い、イラストレーションの教室に通い始めた。うまい人たちの絵の中に自分の絵を置いて見ることで、自分がどれだけ描けるのか、描けないのか、を知りたかったし、自分の底上げをするためにも、第三者の意見が必要だと思った。隔週で課題を持っていき講評するので、自ずと描く機会が増えるし、描かざるを得ない状況に自分を追い込むことができる。この教室に通うことで、より絵を描くことに真剣になれたし、イラストレーターとして仕事をしている先輩などが近くにいることはとても刺激になった。

絵を描くことは、未来を切り開くこと。私が人生を進めるために、必要なこと。きっとこの先も、絵を描くことで私は進んでいけるのだろうし、進むためには絵を描くしかないのだと思う。


こけし堂として、こけしの絵付け販売をすることと、

絵を描くこと。

この不思議な2足のわらじを、これからも大切に履き続けていきたいと思う。


補足。

手づくり市では、たくさんのお客さんと交流することができて、本当に嬉しかったし楽しかったです!旅立っていったこけしたち、元気にしてるかな。。 それぞれの場所で、それぞれの日常の中に、私のこけしがちんまりと居てくれる光景を想像すると、散らばっていったウミガメの子どもを思う親ガメのような気持ちになります。今もこの空の下、アパートや一軒家やマンションの一室にいるあの子を想像すると、がんばれよ、と言いたくなります。私の手元に居た時間を遥かに越えて、誰かの元で暮らすという不思議。。いいこけし人生をおくれよ! みなさまの手元に旅立っていったこけしたちの幸せと、手元に置いてくださっているみなさまの幸せを祈ります!


次回、最終回、しめます!

お読みいただきありがとうございました!



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