連載 「こけしの恩返し」09 就職、先輩編


年始から始まってしまった、「就職、実は楽しくないんじゃね?」現象は、少しずつ少しずつ私の心を浸食しながら徐々に徐々に色濃く大きな存在になっていった。

でも、そんな中でも楽しいことや救いはあった。

それは、年の近い女の先輩たちの存在だった。

入社当時、その先輩は3人いた。

ひとりは環境系事業の業務を請け負っている先輩、

ひとりはweb関連を請け負っている先輩、

そしてもうひとりは総合的営業事務の先輩

だった。

環境系の先輩は、私が入った年の12月末で結婚退職してしまったので、たった4ヶ月しか一緒には働けなかったけれど、いろんなことを教わったし、その後も結婚式の受付をさせてもらったり、フランスに行く時にはトランクを貸してもらったり、仲間と一緒にやってたアトリエのイベントに遊びに来てくれたりして、こんな私を何かと気にかけてくれる、お姉さんのようなありがたい存在だった。

web系の先輩は、なぜかとても気が合った。6歳くらい年上だったけれど、そんなこと全く感じないような、とても近しい感じがしていたし、話す内容や観点がとてもおもしろくて、いつまでもしゃべっていたい、と思わされるような方だった。6時間もしゃべっていたこともあったなあ。。楽しかったなあ。

会社の愚痴とか、心の叫びとか、いろいろ聞いてもらっていた。その先輩から出てくる答えが、私にとってはいつも的を得ていて、そして先輩独自の考え方がとても新鮮で、おもしろくて、当時の私にとってとても必要な存在だった。

その先輩はだんだん会社に来られなくなって、結局辞めてしまったけれど、そんな中でも私は先輩と連絡をとって、しばしはお宅にお邪魔したりもしていた。先輩が心配(韻踏んでるな)だったこともあるけれど、先輩と話したかった。それがとても大きかった。

先輩か私、どちらかが男性だったら、私たちうまくいってたかもしれない、と、そんな話をしたこともあった。なんか、いろんな面で分かる部分があったし、何より気が合っていたから。そんなふうに思える方とあの会社で出会えたことは、私にとって幸運だったと思っている。

そしてもうひとり、総合的営業事務の先輩。

その先輩とは、今でもたまに会ったりさせてもらっているし、これからも繋がっていきたい、と思っている。4年間の就職生活の中で、ほんとうにたくさんたくさんお世話になったし、励まされたし、何より話していて楽しい。

思えば、この3人の先輩、みんなキャラが立っている。それぞれに素敵な部分が輝いていて、独自の考え方や姿勢をもっていて、人として、とても魅力的な方々だった。

営業事務の先輩とは、あるカタログ冊子を作る仕事を一緒にさせてもらって、その日々がとても印象に残っている。

そのカタログは、電化製品店に置くための、「ポイントによってこんなものもらえますよ」カタログだったのだけど、これがまあ大変だった。

発注元の会社から、アホみたいに何度も何度も修正の依頼が来る。それを先輩が電話で聞く。それを制作している私に伝えてくれる。私、修正する。先方にメールする。なんか違う、と先方から電話が来る。先輩が出る。聞く。私に伝えてくれる。修正する。送る。また電話が来る。

このループが何度も何度も何度も続いた。

私、発狂しそうになる。

先輩、なだめてくれる。

この繰り返し。

ひな形ができるまでそのやりとりは続いたけれど、一度テンプレートができたらあとはそこまで大変ではなかった。が、この仕事、帰る時間が夜10時を越えることがざらで、この仕事が始まると、ああ、また大変な期間に突入するな、という、うっすらとした覚悟を必要とした。

先輩はその仕事がない日でも遅くまで残業していることが多く、10時や11時まで働くことが常だった。ほんとうによく働くなあ、、身体大丈夫なのかなあ、、と思っていたが、先輩はいつも元気だった。いや、元気じゃなくても、毎日ちゃんと出社して、毎日ちゃんと働いていた。すごいなあと、いつも思っていた。

カタログの仕事の間、遅くまで2人で残って先方からの電話を待ちながら、先輩と話をしたりして過ごす時間は楽しかった。疲れて大変だったけど、遅い時間に共有している人のいない会社の空間と時間には変な特別感があって、なんかこんなのも楽しいなあ、と思っている自分がいた。大変だったけど。。。

イライラしながら修正をする私に、先輩はお菓子をくれたりして応援してくれた。イライラとか、思っていることとか、包み隠さずに話せる先輩だったから、ほんとうに救われた。先輩は、私の愚痴を聞き、同調し、励ましてくれた。会社が嫌でも、先輩のことは好きだった。


思えば、3人の先輩以外の社員のみなさんも、それぞれキャラが立っている会社だったと思う。思い出すと、みんな、濃い。今思えば、珍獣が揃った動物園みたいな会社だったんじゃないだろうか。そんな中だったからだろうか、なぜかとても居心地はよかった。私のことを受け入れてくれたし、おもしろがってもくれた。嫌なこともいろいろあったけれど、4年も居られた、という事実が示すのは、きっと私はあの人たちと、あの会社と、ある種の相性がよかったんだろうなあ、と思う。

謝謝。


次回、清沢、会社辞めるってよ、までの道のりについて。

お読みいただきありがとうございました!

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