連載 「こけしの恩返し」15 森のバイト編


新しく決まったバイト先、それは、森のように鬱蒼とした木々の中にある一軒家だった。

そこは造園家の社長一家が暮らす自宅兼事務所で、オープンガーデンとして家の一部を解放しており、そこを借りにやってくる人や見学に来る人の接客や、掃除などが主な仕事だった。

環境は抜群によかった。木々に囲まれているのでまるで森の中にいるような感覚で、いつも自然を近くに感じられた。それまでの勤務先が都心だったということもあり、徒歩20分で行ける森への通勤は身体が本当に楽だったし、都会に対するイライラやピリピリ感も徐々に土に浄化されて行くような感じがした。こんな暮らし方もあるんだな、こんな働き方でもいいんだな、と、それまで「都心でバリバリ働くのが人の道」のような変な思い込みがあったのが、少しずつ息が吸えるような暮らしに変わっていき、肩の力も少しずつ抜けていったように思う。

自然とともに暮らす環境の弊害ももちろんあった。エアコンのない家だったので、夏は暑いし冬は寒い。風通しが良い家で、屋根の上を木々が覆っていたり土の多い場所だったので、夏はなんとかやり過ごせた。でもかなり暑かったけど。加えて、抜群に蚊がいた。ゴールデンウィークの頃になると蚊が出始め、10月末くらいまで続くので、約半年は蚊との攻防戦が続いた。私は刺されやすい方なので、夏はどんなに暑くても七分袖とズボン、腕にはアームカバー、という、完全防備型で挑んでいた。冬は冬でかなり冷え込む家だったので、いつもモコモコになっていた。家の中でも常にコートやダウンを着てマフラーをまいていた。あと、虫もすごかった。私は虫が平気な方なのでよかったのだが、虫嫌いな人は多分無理なんじゃないだろうか。ゴキの数は半端なかったし、見たこともないようなでかいムカデを見たこともあった。自然に近いってことは、そういうことだ。人の数より圧倒的に虫の数の方が多いんだから、仕方がないのだ。

そこで働く中で、私は毎月おたよりを作っていた。いわゆるフリーペーパーで、そのオープンガーデンの活動のおしらせや、その場所の紹介など、新聞のような形式でオール手描きで作っていた。私はそのフリーペーパーを作ることが楽しかったし、自分がその場所で出来る限られたことの中で、フリーペーパーの存在は救いのようなものだった。

毎月フリーペーパーが印刷からあがってくると、ご近所にポスティングしたりお店に置いてもらいに行ったりしていたのだが、それがきっかけでいろんな方との出会いがあった。

ご近所のカフェで作品を置いていただけるようになったり、私がデザインもできることを知ったお店の方からチラシのデザインのご依頼をいただいたり、あと、近くの公民館で絵の展示をさせていただいたりもした。本当にありがたいことだった。

毎月ポスティングしていたお宅の小学生の女の子からお手紙をもらったこともあった。私はそのフリーペーパーで「もりくん」という4コマ漫画を連載していたのだが、あるとき私はプレゼント企画を勝手に企ててもりくんのキーホルダーをプレゼントします、という応募を募ったことがあり、そのとき唯一応募をしてくれたのがその子だった。私の作るフリーペーパーを真似して、その子の家族の出来事を題材にした新聞を作って持ってきてくれたりもした。思いもよらないような素敵な交流が生まれたことが、本当に嬉しかった。

あと、そのオープンガーデンは秋田にもあって、広大な敷地内に社長の思いが繰り広げられたそこは、本当に素敵な場所だった。年に1回、ほたるの観賞会をやるために出張するのだが、その出張が毎回楽しみだった。大自然の中に居られることが何より心地よかったし、あの空間、あの景色、あの場所がとても魅力的だった。みんなで泊まれる宿泊小屋があって、そこで合宿みたいにご飯を食べたり、夜いろいろ話したりする時間もとても楽しかった。私は仕事で行っているので、やらなければならないこととか社長やスタッフの目を気にしないといけない部分もあったけれど、それでも秋田出張は楽しさの方が勝っていた。

夏、社長と2人で車で11時間かけて秋田まで看板を描きに行ったこともあった。あの日々は、いろんな意味で忘れられない。看板描きは楽しかったけど、その他の面が過酷すぎて。。でも、あのとき作った看板が好評だったらしく、今年またその看板を新しく描きに秋田に行くことが出来た。すごく嬉しかったし、楽しかった。苦労はいつどこで実を結ぶか、分からないものです。

家族が住む家で働く、ということはいろいろ難しい面もあったし、なんとなくどんどん家族的な存在になっていくような部分もあれば、どうしても相容れない部分もあったり、なかなかシビアな面も多かったけれど、それでも約4年勤められたのは、何よりあの環境のおかげだったと思う。庭の木々、植物、風、自然の力。それらが私の心を癒してくれていた。


地図を納品に行ったことがきっかけで出会えたこのバイト、私は幸運だったなあと思う。頑張ってもなかなか見つからないような貴重な働き先だったと思うし、言うても社長は一流の造園家なので、そういう人物と近しくなれたということも、すごく幸運なことだったと思う。

本当に、貴重な経験をさせていただいた。

ありがとうございました。


次回はもうひとつのバイトについてなどです!

お読みいただきありがとうございました!

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