連載 「こけしの恩返し」07 ついに就職決まる編


7月末でパン屋を辞めた私は、8月のまるまる1ヶ月を実家で過ごした。

4月から就職活動を始めた私は、いくつかの会社に応募し、見事に全て落ちていた。

最初に応募したのは好きだったカフェだった。そこは吉祥寺にあったマクロビオティックのカフェで、その佇まいや料理がとても好きだったので応募してみたのだけれど、選考の際に「自分で炊いた玄米ご飯を持ってきてください」というものがあり、それまで玄米を炊いたことがなかった私は見よう見まねで炊いて行ったのだけど、あれ、多分すごくマズかったんだと思う。。結局採用にはならなかったのだけど、面接のときのオーナーさんの接してくださる感じや考え方や、いただいた不採用の通知メールからも、オーナーさんのまっすぐな心のこもった思いを感じて、落ちたけれどそんなこと関係なく、もっとそのカフェのことが好きになった。

マクロビカフェの不採用後、素敵なデザインをされているデザイン事務所にも応募した。原宿駅から数分の素敵地帯にある素敵事務所へ面接に出かけた日のことは、今でもよく覚えている。

素敵な建物の中にある部屋のドアをあけたら、素敵な感じの若い方々が数名マックに向かって仕事をしていた。おだやかな感じのボスとその右腕的スタッフの方が作品を見てくださった。それまで会社に勤めたこともなく、デザインだって自己流で学生臭さ満点の私の作品を、その方は「いいねー」と言ってみてくださった。さらには、マックへ向かって仕事をしている素敵な若者スタッフたちを呼んで、「これ、見てみなよ、いいよ」とすすめてくださった。 私ごときが作ったものを、プロの方々に見てもらえるなんて!しかも仕事の手を止めてまで! このことは、私にとって感激だった。自分の作品見てもらって、しかも「いいね」なんて言ってくださる人がいるなんて。。。

私は「ここで働けたらどんなに素敵だろう。。!」と思った。でも、なんとなく、心にひっかかることがあった。

面接で、「あなたはイラストが好きなようだけど、ここはデザイン事務所で、イラストは描けないけどそれは大丈夫?」というようなことを聞かれた。それは、聞かれたら一番困る質問だった。ほんとうは、私、イラストレーターになりたかったのだ。でも、イラストの技術やセンスに全然自信はなかったし、自分のイラストが世に通用するなんて全く思えなかったから、その時点でイラストの仕事を目指す勇気は皆無だった。現状ではイラストで食ってくことは不可能。だから、イラストに少しでも近い、デザインの分野にいくしか道はない。そんなふうに思っていた。

そんなふうに思っている中でのその質問に、私は必死で自分をごまかして「デザインがやりたいです」と言いながらも、「でもイラストもやりたいです」と言っただろうか。。。忘れてしまったけれど、その、私の「デザインではないんです」感は、きっとあのボスさんには伝わっていたと思う。

その面接のとき、ひとつ課題が出た。自分の最寄り駅から家までの地図を作りなさい、という内容だった。何日までに作って送ってください、と言われ、その事務所を後にした私の頭の中は、さっきついた嘘のことでいっぱいだった。

「私、ほんとうにここでデザインを選んでいいんだろうか。。。」

それから数日、考えた。

もしも、うまくいってそのデザイン事務所に勤められたとする。丸1日、マックの前に座ってデザインをする毎日。残業は当たり前。ほぼデザインに占領される毎日。家に帰っても寝るだけ。自分の時間は休日しかない。そんな毎日に、私は耐えられるだろうか? 「やっぱり私、イラストがやりたいんです」って、絶対言いそうだよね? いや、絶対そう言って辞めるよね?

そんな問答を繰り返した結果、私はそのデザイン事務所の応募を辞退することにした。

やはり、イラストレーターになりたい、という気持ちが勝る、ということと、デザインに対して真剣に毎日取り組む人たちの中で、こんな中途半端な気持ちで勤めることは、デザインに取り組むスタッフの方々に対して失礼だ、ということを、正直に伝えた。

それに対するご返答は、内容はほぼ忘れてしまったけれど、とても好意的な感触だったことを記憶している。勝手に応募して勝手に辞退する、という迷惑な独り相撲に、怒りもせず、そのまま受けとめてくれたことが、とてもありがたかった。

今でもそこのデザイン事務所のデザインはとても好きだし、素敵だなあ、と思っている。いつか、いや、きっと、必ず、あの方たちと、イラストレーターとして仕事がしたい、と思っている。


自分から辞退、という道を選んでしまった私は、いよいよどんな道へ行けばいいのか分からなくなってしまった。

イラストレーターを目指すと言っても、現時点で必要な生活費を稼がないと暮らせない。残高は減る一方。迫り来る現実。嫌でも働かなくてはならない。

素敵系デザイン事務所ではなく、事務的なデザイン事務所だったら割り切れるかもしれない、と考えた私は、ただひたすた銀行の約款の文字をタイプする、というデザイン事務所(?)に応募してみた。

面接のとき、指定された文字を時間内に打つ、という軽い試験のようなものを受けたのだが、普通に遅く、ろくに打てずに終了。作品を見てもらっている時も、「こんなふうにイラスト描けたりする人に、うちの仕事をしてもらうのはなんか悪い。。」というようなことを言われ、「いやいや!逆にそんな仕事だからいいんです!」と思ったけれど、結果は不採用。

それ以来、

「どこへ行っても私、必要とされないんだな、、」

という、超ネガティブラインに陥っていった。


そんな感じでどこにも取りつく島がない状況に陥っていった私は、

「もういっそのこと、就職活動を放り投げて実家へ帰ってしまえ!夏だし!暑くて東京いられないし!」という理由のもと、実家へ1ヶ月間帰ることにしたのだった。

この1ヶ月が、ほんとうに意味のある期間だった。

よくもあのタイミングて私は帰ったよなあ。。と、自分の選択に感心する。


帰ってすぐ、私は風邪をひいて熱を出した。

その風邪が一向に治らず、久しぶりに病院まで行って解熱剤などを処方してもらい、3週間くらいかけてようやく本調子に戻ったころ、そうだ、就職活動しなくては。。と、地元の図書館に行った。当時、実家にはインターネットが繋がっていなかったので、ネットを見るには図書館まで行かなければならなかったのだ。図書館で東京の就職情報を検索した。そのときにはもう、デザイン系はやめよう、と思っていた。デザイン系だと、変にこだわってしまうだろうし、だったら全然関係のない一般職、事務とか、そういう方が割り切って出来ていいのかもしれない、その分野に自分が必要とされる枠があるのかが最大の難点だけれど、、、という思考のもと、一般職で検索していると、ひとつ、気になる会社を見つけた。

それは、印刷会社だった。印刷会社だけれど、ものをつくったりすることもしているっぽい。それになぜか、フリマに出店したりもするらしい。初めて見たとき、なんだ、この会社は? と思った。印刷会社なのに、なんかいろんなことするんだな、得体がよく知れないな、でもなんか、おもしろそう、と、私の直感は働いた。もうなんでもいいからとりあえず受けてみよう、と思い、その会社へエントリーをした。

それが確か、8月27日とか、そのくらいのことだったと思う。

そこから話はトントン拍子だった。

面接に来てください、というメールがすぐ、私の元に来た。

長野にいる私は、急いで東京に戻る準備をした。面接を受けに、東京に戻らなければ!

東京に戻った次の日、早速面接に出かけた。

都心のオフィス街に、その小さなビルはあった。

あまりきれいではない階段を上って、社長室に入り、社長と社長の息子の部長と面接をした。

私は参考程度に、と思って自分の作品集を持って行っていた。印刷会社の事務だし、きっと必要ないだろうけど、一応、と思って持って行ったその作品集が、功を成した。それを見た部長が、気に入ってくれたのだ。

かくして、私の就職は決まった。

就職活動開始から、たった3日やそこらで決まったのだ。

こんなことってあるんだ!!!と、私はほんとうにびっくりした。

そして、ものごとって、タイミングなんだな、ということを身をもって知った。

いくら頑張っても、ダメな時はダメ。そして、頑張らなくても、進む時は進むのだ。

すごいなあ、と思った。

こんなことって、あるんだなあ。。。。と。


思うに、実家で熱を出して寝込んでいたのは、変化の前の毒出しだったんだと思う。違うステージに行く前の休養、強制シャットダウン、だったんだろう。

あそこで寝込んだことが、きっとよかったんだろうなあ。きっと、長野が呼んでくれたんだなあ、「あんた、次行くために、ちょっと休みなさい」って。

ありがたい期間だった。

8月の暑い時期を長野で過ごせて快適だったし、父母と同じ屋根の下で暮らせて安心できたし、それまでいろいろあってくたくただった心もかなり癒された。

1ヶ月、十分な休養ができたおかげて、次へ行くためのパワーを満タン充電することができたのだ。


東京へ行く高速バスの停留所へ向かう車の中で、母が言った言葉が忘れられない。

「また、いつでも帰ってくればいいからね。」

なんてあったかい言葉だろう。

私には、帰れるふるさとがある。帰れる場所がある。

そのことが、どんなに心強いことか。

母の言葉を聞きながら、ぼんやりと温かさを感じながら、泣くまいと思いながら、夜の景色を眺めていた。



次回は、初めての就職、楽しい!編です。

お読みいただきありがとうございました!


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