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前半、寒帯。後半、熱帯。平均すると温帯。

モスクワ駐在から帰国して共産圏向け輸出担当になった私の30歳台は当社の繊維原料輸出部の担当者、課長として糸、綿を世界中に売り歩く事で過ぎていきました。

どこの国でも、産業が興り経済的発展をスタートするときは、まず繊維産業が始まりになります。繊維産業は、原料生産、紡糸、紡績、織布、染色、縫製と莫大な雇用需要を発生させ所得の低い発展途上の若い国が強みを発揮できる分野です。

従って、私の出張先も、中国、台湾、韓国、北朝鮮、フィリピン、タイ、マレーシア、インドネシア、ラオス、ヴェトナム、インド、パキスタン、イラン、南アフリカ、アルジェリア、スペイン、ポルトガル、イタリア、英国、フランス、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、東独、西独、オーストリア、オランダ、スイス、ユーゴスラビア、レバノン、オーストラリア、ニュージーランド、USA等々 多岐に亘りました。

中でも、ナイロン製糸プラントの合弁事業の市場調査で行った、南北内戦中のサイゴン、インドのケララ州トリバンドラム市(ユーラシア大陸の最南端コモリン岬のある処)、業界商談で行った北朝鮮の平壌などは、普通の日本人がなかなか行く機会のないところでした。サイゴンでは、米軍が頑張っているうちは、絶対陥落したりしないと聞きましたが、私の出張後、3ヶ月で陥落してしまいました。

本当に暑いと云う事とは!

インドのケララ州にナイロンプラント設置調査に行ったときには、まず首都のニューデリーに行って許認可関係の調査をします。リライアンスという財閥がパートナーになる予定ですから、官庁関係のアポイントはスムースに取れます。第12話でも書きましたが、ニューデリーの暑さは本物です。東南アジアでもタイのバンコクは暑いほうですが、ニューデリーの暑さは体験したことのない暑さで「長くいれば死ぬ」と本気で思いました。
 ホテルからタクシーで、官庁に向かいます。ものすごい暑さの中、タクシーは冷房をつけません。何故冷房してくれないかと言いますと、

「エンジンに負担がかかりエンストする」

らしいのです。では、窓でも開けるか、と言うと

「入ってくる風のほうが熱いので止めたほうがいい」

と言うことです。結局、窓を閉め切って、45度Cの暑さにじっと耐えます。
不思議なことに、交差点で停車するとスーッと涼しくなります。空気の流れが止まって、皮膚の周りの空気が36度Cの自分の体温で冷やされる結果涼しく感じます。
昔から、銭湯で熱いお湯の中で体を動かすとさらに熱く感じるので、

「お湯の中で、動くんじゃない!」

と叱られた記憶がありますが、正に其のことが空気の中で起こっていました。
夕方ごろになって、面談の帰りの車窓からは、少しでも涼しいところで一夜寝たいと言う人たちが家からベッドを歩道に持ち出して準備する姿を多数見ました。
ホテルに帰ると、ロビーでは氷のような風が出迎えてくれました。生き返った思いで温度計を見ますと、36度Cとなっています。日本で真夏の冷房温度を36度Cに設定すれば、其の後、誰もそのホテルには宿泊しないはずです。
かように、人間の体感温度は相対的で、マイナス5度で暑かったり、プラス36度で寒かったりするのです。

コモリン岬の落日。

ナイロンプラント立地調査の現場は、ケララ州トリバンドラム市です。現地ではすでに進出していた松下電器の子会社を見学させてもらいました。
働いている現地の人たちは、やや小柄で北部のインド人と比べるとかなり黒さが目立ちます。私に同行したリライアンス社のインド人とは明らかに人種が違う感じです。
インドの北部にいる人たちは、大柄で色白、顔立ちも彫りが深い人たちで、当社が主催する民族衣装のサリーのファッションショウのモデルはエリザベス・テイラーのような超絶美女ばかりですが、これは、その昔、マケドニアのアレキサンダー大王がここまで遠征してきて、部下の兵士がここに居ついて帰国せず現地の女性と混血したのが原因とされています。

翌日、インド人の案内人が、

「ミスター石井、ここは何も無いところで、動物園ぐらいしか見るべきものはない。」

と言うので、ついていきました。やや雰囲気が違うので、

「少し、小さい動物園だね!」

と言うと、 

「スネークしかいません。」

と言うので、早く帰りたいと思いながら、ついていくと、巨大なマムシがいました。

「このスネークは、あまり珍しくなく、どこの家の庭にも1匹はいるはずです」

と言う説明を聞き流しながら、コブラの檻に行きます。数匹が暑そうに寝そべっていました。
隣の檻には、ずんぐり太った「ツチノコ」みたいな蛇が1匹だけいました。

 「これがもっとも危険な蛇です!」

と声を震わせながら説明してくれました。キングコブラは、蛇しか食べないそうで、普通のコブラの檻に間違って混入すると、数日で1匹しか残っていないそうです。
「胃袋に入れたときあまり嵩張らないので、食べやすいのかな」などと馬鹿な事を考えながら早々に引き上げます。

夕方、

 「自動車で、2時間ほど走れば、ユーラシア大陸最南端のコモリン岬の落日が見られるけど行きますか?」

と聞かれましたが、スネーク動物園で疲れ果てた私は、断りました。
やはり、無理しても見ておくべきだったかなと後で思いましたが、其のときは、ここに派遣されてくる当社の若い社員のためにも、報告書は、ネガティブな内容がいいかも知れないと思いつつ早々とベッドにもぐりこみました。
勿論、細長い何かが隠れていないか、ベッドの中は勿論、部屋中をチュックした後で。

「やっぱり、暑いよりは、寒いほうがましか?」と思い始めた頃、当社人事部はよからぬ事を考え始めていました。
43歳の私に、インドネシアの合弁事業の営業担当役員の辞令を出してきました。
ベトナムやインドの出張などをホイホイ引き受けたのが伏線になっていたのかも知れません。  それとも、
「酷寒の地ロシアの次は、熱帯のインドネシアで生涯体感温度の平均は温帯になるではないか」という洒落だったのかも知れません。               

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