お父さんと私⑯ 父への抑圧していた思い

父が亡くなった。
深い悲しみの中にいる時がある。
けれど同時に
自由への開放を感じる時がある。
そんな自分に嫌悪した。

父はよく、「自分は長くない」と子どもだった私たちに言う人だった。飛行機に乗って出張に行く前日、「飛行機が落ちて死ぬかもしれないから覚悟しとくように」と言われた。それが冗談だったのか、本気でそう思っていたのか、父の心はわからないが、素直な子どもの私は真に受けた。お父さんが死んでしまうと思うと、怖くて怖くてしかたなかった。

お父さんが無事に帰ってきますように、とお祈りした。
身体がよくなりますように、とお祈りした。

そんなけなげな子どもの自分を思い出した。

仕事のイライラを家庭に持ち込む人だったので、機嫌が悪いときはそっとしておいた。
お酒を飲み過ぎる人だったので、酔ったときには傷つくようなことも言われるし、自分の話しかしなくなるので、逃げるように部屋に帰った。部屋までくるから、寝たふりをした。

父はバラエティもドラマも嫌いなので、いつもNHKのニュースが流れていた。父の批評付きでそのニュースを見ていた。どうしても見たいテレビ番組は全て録画した。

髪の毛を長くすると、似合わないと言われたので、いつも短かった。

女の子のような恰好をすると、嫌な顔をされるので、なかなかできなかった。

身体つきが女性に成長していくと、「女になっていって嫌だな」と言われたので、自分の身体が女性になっていくことに、嫌悪感があった。


大学生の頃、家を出た。一人暮らしをした。はじめ、友達ができるまでは孤独感もあったけれど、

居場所を見つけてからは、とても解放されていた。自由だった。

髪を伸ばしてみた。化粧をしてみた。おしゃれをしてみた。眉を整えて、爪をやすって
そうやって、やってみたかった「女の子」を表現することができた。

好きなテレビをリアルタイムで観た。


鬱になった時、やはり傷つくことをたくさん言われて
何度も泣いた。

それでも私は、お父さんが好きだった。
生きていてほしいと思った。
お父さんは私の理解者だと思っていた。
指針にしていた。

でも、わかった。

私はたくさん傷ついていた。

私はたくさん、自分を殺した。

お父さん、大好きだから、そんなに悲しいこと言わないで
お父さん、大好きだから、私をそのまま肯定してほしい。

私には、そういう思いがあったと気が付いた。

なぜだろう。この頃の私は、お仏壇に全くお線香をあげなかった。おじいちゃんとおばあちゃんだけの時は、毎日のようにあげていたのに。父が入った仏壇に、お線香をあげる気が全くなくなった。



今、自分自身が親になってこのような回想をすると、果たして私は娘を傷つけるようなことを言ってないだろうか、と心配にもなってしまうけれど、それと同時にわかることもある。

鈍感になった(強くなった?)大人の心では理解できないほど、子どもの心は素直で純粋だということ。

自分の子どもに、知らず知らずのうちに理想を押し付けようとしてしまうことはほとんどの親に起こることだということ。

これは私の父だけではなく、少なからずそういうことは起きるものであるということも知り、特段自分が可愛そうな幼少期を送ったとも思っていないが、父が亡くなって少し日が経った時期、このような抑圧していた思いが湧き上がってきた。これもまた、死を受け入れるひとつの過程であり、必要なものだったと思っている。

すっごく素敵な写真だったので、お借りします。

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