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【エッセイ】African Dream #1 Why Africa?

なぜ、アフリカに行ったのか?

この問いに答えるには、僕の小学生時代までさかのぼる。
あれは小学5年生か6年生の頃だったと思う。あるテレビ番組でアフリカについての映像が流れていた。
そこには、自分とさほど変わらない歳にもかかわらず、飢えに苦しみ、身体は痩せ細り、今にも命を落としそうな子供がいた。
それを見た時に、「なんかおかしいな?」、「自分と同じぐらいの年なのに、なんでこの子と自分はこんなに違うの?」と疑問というか違和感を強く抱いた。

その違和感を抱いたまま中学生になり、ある一冊の本に出合う。
その本の名前は「世界がもし100人の村だったら」
その一節にはこうあった。

「すべての富のうち6人が59%を持っていて、74人が39%を、20人がたったの2%を分け合っています」

「20人は栄養が十分ではなく、1人は死にそうなほどです。でも15人は太りすぎです」

この本を初めて読んだ時、涙がボロボロとこぼれたのを覚えている。
この時から、「おかしい」という違和感は「なんとかしなきゃ」という使命感のようなものに変わった。

そして、ちょうどその頃、将来について考える授業があり、JICA(ジャイカ:国際協力機構)青年海外協力隊を知った。
サッカーでけがをして理学療法士に出会っていたこともあり、「理学療法士として青年海外協力隊に参加し、海外に出て働く」が自分の夢となった。

それからは、この夢のために生きていると言っても過言ではなかった。
全ては夢につながると思い、勉強に、サッカーにひたすら取り組んだ。高校卒業後、リハビリの専門学校に進学し、理学療法士国家資格を取得した。

そして、福岡県久留米市にある聖マリア病院に入職する。
聖マリア病院は国際協力に非常に力を入れており、JICAの事業を通して病院から専門家を世界各国に派遣したり、海外からの研修員を受け入れたりしていた。
また、病院職員と海外研修員との交流会やラオスへのスタディーツアーを行うなど、海外を目指す自分にはうってつけの環境。
そんな病院が同じ福岡にあることは本当に幸運だった。
入職後は、研修員との交流会やラオスへのツアーに参加するなどして少しずつ国際的な感覚を養っていった。

そして、働き出してから5年目の秋にチャンスが巡ってくる。
病院の国際事業部の方がアフリカ・マラウイへの青年海外協力隊の要請が出ていることを教えてくれた。
実は、聖マリア病院はマラウイにも支援を行っており、当時、母子保健に関わるプロジェクトをマラウイの農村部で展開していた。
しかも、その青年海外協力隊の要請は、偶然にも病院のプロジェクトが展開されている全く同じ場所に派遣されるものだった。
これは、神様が与えてくれたチャンスだと思った。

ただ、その要請は理学療法士としてではなく、「コミュニティ開発」という聞き慣れない職種。
農村部に派遣され、住民とともにその地域をより良いものにしていく。
平たく言えば、地域おこしに関わる仕事。
自分の専門外のことをまだ知らない土地で行うことに不安もあったが、チャレンジしてみたいと思った。
何よりこのチャンスを絶対に逃したくなかった。

 それから、1次選考、2次選考を受け、2014年2月にJICAからの合否通知が届く。
緊張で震える手をおさえながら、A4の封筒から通知書を取り出す。
そこには「合格」という文字とともに「マラウイ」と書かれていた。
ついに、世界への切符、アフリカへの切符を手にした。
アフリカを夢見て、約10年後のことだった。

アフリカに抱いた夢は現実となった。


【エッセイ】African Dreamは、私が「アフリカに抱いた夢と今、抱く夢」をテーマに執筆していきます。
私はJICA青年海外協力隊としてアフリカ・マラウイに2014年から2年間派遣され、電気・水がままならない僻地で、保健医療活動、地域おこし活動を行いました。
この経験から、アフリカの持つ可能性を大いに感じ、帰国後は日本とアフリカを繋ぐ事業を展開しています。
このエッセイでは、私のアフリカでのエピソード、今、実施している活動を紹介しながら、読者の皆さんに「アフリカ」を存分に味わってもらいたいなと思っています!

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