2.影響を受けた本(5)『吸血鬼ドラキュラ』

『吸血鬼ドラキュラ』ブラム・ストーカー(平井呈一訳)創元推理文庫

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影響の受けた本、と続けてきたがそろそろ終盤で。それこそ小学時代に読んだ数々の本には多くの影響を受けているはずだし、影響どころか人格形成、その後の趣味嗜好の触手を伸ばすにあたり選別の基準となっている。

これまで挙げてきた本は幼少期から小学生時代に読み、最初期の読書遍歴におけるモノリス的位置づけのものばかり。それらの他にも水木しげるの一連の漫画や絵画教室の先生に頂いた星新一のショートショートもそう。『悪魔の花嫁』という漫画もだし、アラビアンナイトや古事記や日本書紀を子供向けに書き直された本もある。江戸川乱歩の少年探偵団はシリーズ通して図書館で借りた。

両親が共働きで、鍵っ子で一人の時間が好きだった。それなりに友達はいたけれども、吃音(どもり)だったせいか他人とのコミュニケーションをとるのは苦手だった。「その他人」には親や親戚も含む。一人で本のページをめくるのが好きな子どもだった。それでも孤独を感じなかったし、「人はひとり」というのをどこか悟っていたように思う。あるいは諦めていた。通じ合わない人間同士が通じているフリをして、乾いた演技の中で「しゃかい」というものが動いている。そう思っていた。道化師やピエロに興味をもち、山口昌男やウィリアム・ウィルフォードを読み、あるいは見世物小屋や興行、河原者やサンカとよばれる存在、日本文化のほとんど明るみに出ない因習や習俗へも興味の枝葉は広がった。さらには能楽や人形劇への興味に繋がった。

コリン・ウィルソン『アウトサイダー』やH・P・ラヴクラフト『アウトサイダー』、近からず遠からず、リンクしているようでその表現形態は明らかに異なる二人の著作に出会ったのは中学に入ってから。とくにコリン・ウィルソンには、その出自からとても共感を覚えた。

今回の本はそれらよりもずっと前のこと。のちのち出会うことになる幸田露伴、泉鏡花、澁澤龍彥、その他の数多くの著者を知るずっとずっと前のこと。けれども確実に、そこへ辿る大きな標になった本が今回のもの。


『吸血鬼ドラキュラ』を知ったのはテレビでやっていた映画が最初だと思う。クリストファー・リーのドラキュラ伯爵。ずいぶん幼い頃。鮮烈な印象があり、怖いより先に格好いいという感想が先だった。巨大な植物が人間を襲ったり、巨大な蟻が人間を食べるという映画も観た。それらもテレビで観たのか親がビデオで観てたのかわからないけれども、『吸血鬼ドラキュラ』だけは自分の中ではカラーで認識していた。血の色、女優の青ざめた肌。きらびやかで豪奢なセット。のちに、どこをどう探してもモノクロの映像しかないのをとても不思議に思った。別の世界に来てしまったのではないかと。

それくらいインパクトのある映画だったから、少年探偵団を卒業し、図書館でそろそろ大人のほうの本も読みたいと小難しい字面が並ぶ書棚に探検して見つけたのが創元推理文庫の『吸血鬼ドラキュラ』。

図書館で見つけた表紙は青かった。デザインは冒頭に掲げたものと同等だけれども、配されている色は赤ではなく青だった。児童向けの本ばかり読んでいたから正直読むのには難渋した。まず版面の文字が小さい。見たことのない漢字が並んでいる。想像を超えたところで展開される描写。ニュアンスの不明さ。

なにもかも未知の領域だったけれども、漢和辞典と国語事典をひきひき、それでも読んだ。読んで映画とは随分異なることが分かったし、映画よりも数倍怖かった。あれほど印象的だったクリストファー・リーの牙を剥くシーンよりも、敢えて描写されないことによる予感、存在感があることを知った。それでも、後年読み返してみたら新たな発見があったことも事実。児童の素養と経験では追いつくわけがない。怖いけれどもとても哀しい物語だと思い至るのは最初に読んでから随分経ってからのことだった。

その後にも学んだことや影響を受けた本は数多いけれども素地となるものの代表はほぼ出揃ったと思う。とくに記さなかったけれどもも中学時代に読んだ川又千秋の『時間帝国』(カドカワノベルス)が、時間についての思考と試行錯誤をを始める端緒になったのだろうと思う。書影を撮影するために書棚を探ってみたのだが、大切にしすぎて時空の間、あるいはティンダロスの猟犬の棲まう角度に落としてしまったのかもしれない。

そして、こんな恥ずかしい趣向、今後どのような形でも二度とやらない。

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