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小旅行のサイドストーリー 〜後編〜

前回のあらすじ
マハーバリプラム観光中に、サドゥー(V)に声をかけられ仲良くなる。
漁村の中にある彼の兄(A)の家に招待され、夕飯をご馳走になる。
その後、Vから、数ヶ月前に遭った交通事故の治療費と薬代を貸してくれないかと言われ、迷った末に彼にお金を貸すことにする。

翌朝、ホテルで朝食バイキングを済ませて、再びビーチまで行く。
これで露店ごと跡形も無くなっていたら笑うなと思ったが、家族揃って開店の準備をしていた。
ちょっと安心した。

潮の満ち引きが大きいらしく、露店は水浸しになっていた。
Vの姿はなかった。
Aに聞いたみたら、早朝のバスでチェンナイの病院に行ったということだった。
ぼくのお金が、本当に有効に使われていたら嬉しいなと思った。

その後、開店の準備が整ったAと一緒に彼の家に向かった。
店番は子どもたちがやってくれるようだった。

昨日は見かけなかった犬が、くつろいでいる。

2匹は兄弟ということだった。
本当は3兄弟なのだが、もう1匹は昨年亡くなってしまったらしい。
餌は人間の残飯で、そこまで丁寧に世話をされているようには見えないが、2匹とも毛並みがツヤツヤしていていて可愛らしい。
人間にもよく懐いている。

テレビで流れている洋画を見ながら、Aと他愛のないお喋りをする。
本人談ではあるが、若い頃はやんちゃな男だったらしい。
「よくサーフィンもやっていたし、若い頃はマッチョだったから、みんな俺を怖がっていた。でも、ドラッグに手を出してしまった。俺はドラッグマンだったんだ」
ひじの裏に注射を刺すジェスチャーをしながら、彼はそう言った。
彼の人生に転機が訪れたのは2004年のことだった。

スマトラ沖地震である。

スマトラ沖で発生した大地震は、ベンガル湾沿岸の国や地域に甚大な津波の被害をもたらした。
インドでは特にタミル・ナドゥ州の沿岸地域が被災地となり、死者も出た。

昨日、当時の様子をVが話してくれていた。
「最初は、一気に波が引いたんだ。数百メートル、いや数キロメートルも海が後退して、まるでラジャスタンのようだった」
ラジャスタンはインドの北西部にある州の名前で、砂漠が広がっていることで有名だ。
「それからしばらくして、ツナミがやってきた。このビーチも、あの海岸寺院も波に襲われた。町のメイン道路のところまで波はやって来て、一面水浸しになった」

マハーバリプラムの被害状況がどのようなものだったのかは具体的には分からないが、この出来事は漁村で生活する人々に大きな衝撃を与えたようだった。
2004年の津波をきっかけに、改心したAはドラッグから足を洗い、まじめに働くようになった。早朝は漁に出て、昼間はビーチの露店を開く。
「今、俺には家族がいる。good familyだ。とても幸せだよ」

会話の最中、Aは葉巻のようなものを吸っていた。
小さなビニール袋に入った乾いた葉っぱを取り出してもみほぐし、自分で紙に巻いて、火をつける。
「それは、インドのタバコのなの?」ぼくは聞いてみた。
「いや」彼は涼しい顔で答えた。




「マリファナだよ」



え⁇⁇⁇



やってんじゃん。




混乱したぼくは彼に尋ねた。
「インドでは、マリファナは合法なの?」
「いや、イリーガルだ」
「じゃあ、お店では売ってないの?」
「そう、お店では売られていない。でも簡単に手に入るよ」

津波をきっかけにドラッグから足を洗ったという話を聞いたときは、素晴らしい美談だと思ったが、これでは台無しである。
打つのはダメだけど、吸うのはOKという認識なのかもしれない。



そのまま彼の家で昼食をご馳走になる。

エビのカレーだ。
ぼくのためにわざわざエビを買って来てくれた。
スパイスと一緒に米を炊き込んだというマサラライスは、そのままでも食べられるくらい美味しかった。

昼食を食べたら帰ろうと思っていたが、「暑さが落ち着くまで、もうちょっとうちにいなさい」とAが言った。
急ぐ用事もないので、お言葉に甘えて、ぼくは一番暑い時間帯をやり過ごすことにした。
「リラックスしなさい」と彼がしきりに言うので、寝転がりながらテレビを見た。

もはや自宅である。

昼過ぎに、チェンナイの病院からVが返ってきた。
それからしばらく、3人でテレビを見ながらダラダラと過ごした。

「Vはどうしてサドゥーになったの?」とぼくは尋ねた。
彼が30歳の時にサドゥーになったという話は聞いていた。
「母の死がきっかけだ。とても悲しくて、本当の幸せってなんだろうと考えるためにサドゥーになったんだ」
「そうなんだ。じゃあ、サドゥーになる前は何をしていたの?」
ダンサーだ」
「え?」
ダンサーとして映画に出ていたんだ」

いちいちエピソードが濃い兄弟である。

自己主張の激しいインド人はよく口論をするのだが、彼らも例外ではなく口喧嘩をしていた。
タミル語だったので口論の内容はよく分からないが、兄が一方的にまくし立て、弟のVは弱々しい声で何か反論していた。
目に涙を溜めたVは外に出て、バイクに腰掛けタバコをふかした。
彼は気弱で優しい男なのかもしれない。



リンゴをいただいた。
「リンゴはナイフを入れちゃダメなんだ。ナチュラルな状態で食べるのが一番美味しい」
そう言って手渡された小ぶりなリンゴに、そのまま齧り付いた。
久しぶりに食べたリンゴは美味しかったが、日本のリンゴには敵わない。

「リンゴは涼しい場所で育つよね?このリンゴはどこ産なの?」
「これはリシケシのやつだな。ウーティーでも育ててるけど、タミル・ナドゥは暑いからあんまり取れない。ところで、日本ではリンゴはいくらくらいなの?」
「うーん、1個で100ルピー(150円)くらいかな」
「それは高い!こっちじゃ、100ルピーあったら6個買えるよ。よし、このリンゴを日本に輸出してビジネスをしよう」
「日本でもリンゴはたくさん取れるし、日本の方が美味しいから、あまり売れないと思うよ」

他には、カシューアップルも食べさせてもらった。

カシューナッツの果実の部分である。
カシューアップルは痛みやすいため、産地以外の地域ではなかなか食べることができないらしい。

苦味と渋みが強く、普通に美味しくなかった。
1切れで十分だったので残りを彼らに渡したが、彼らも全く口を付けなかった。
やはり、好き嫌いが分かれる味なのだろう。




「日本語を教えてくれ」と言い、Vがノートに「How R U?」と書いた。
「これは、「オナマエ ハ ナンデスカ」という意味だろ?」
「違うよ。これは「オゲンキデスカ」だよ。「オナマエ ハ ナンデスカ」は「What's your name?」だよ」とぼくは答えた。
Vは自分の書いた文字をまじまじと見つめた。
「これは、「What's your name?」じゃないのか?」
彼はアルファベットが読めないらしかった。
英会話は堪能にできるVだが、読み書きは学習したことがないらしい。
日本人の場合は、英語の読み書きができても英会話が苦手な人が多い。
口が達者なインド人はその逆が多いのかもしれない。
日本人のぼくからしたら、読むことができない言語をどうやって習得したのか、とても不思議である。

「そうか、そうか。じゃあ、これは日本語でなんと言うんだ」
彼が英文を口にした。
「I want to work for Japanese company.」
急に難易度が上がったし、何だか俗っぽい英文である。
まず、アルファベットが書けない彼の代わりに、彼が口にした英文をそのままノートに書き写した。
その下に、「watashi wa nihon no kaisya de hataraki tai」とローマ字で書いた。
しかし、彼はアルファベットを理解していないので、全く発音ができない。
ぼくが単語ごとに話してみて、それを彼が真似たが、特に「はたらきたい」の部分が難しいようだった。
その後、彼らの家族の名前をカタカナで書いてあげたら喜んでいた。



15時になったので、ぼくはチェンナイに帰ることにした。
「明日も仕事は休みなんだろ。今晩、うちに泊まっていっても良いんだぞ」と言ってくれたが、疲れていたので断った。
電話番号を交換して、来月にまた来ることを約束した。

Vが足を引きずりながら、バス停まで見送りに来てくれた。

のんびりするつもりで訪れたマハーバリプラムだったが、期せずしてインドをぎゅっと凝縮したような濃密な旅になった。
5月の週末に、また行こうと思う。

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