見出し画像

小旅行のサイドストーリー 〜前編〜

チェンナイ郊外のマハーバリプラムへ、1泊2日の小旅行へ行ってきた。
そこで、なかなか濃ゆい体験をしたので、「サイドストーリー」として書く。
実際は、もはや「メインストーリー」と言っても差し支えないくらい濃い。
長くなってしまったので、前後編に分ける。


マハーバリプラムのビーチも、チェンナイと同じように、日本の縁日のような露店が立ち並んでいる。
ビーチを散策していたら、「Where are you from ?」と一人のおじさんに声をかけられた。胡散臭い風貌のおじさんである。
ぼくが「日本だ」と答えると、「コンニチハ、アリガトゴザイマス」と日本語のワードをいくつか連発する。
ここまでは良くある胡散臭い話。

観光地では良くあることなので適当に聞き流していると、「ちょっと俺のお店に寄って行きなよ」と、射的と輪投げのお店を指差して言う。
これも良くある話。
ぼくも暇だったので、何か面白い話を聞けるかもしれないと思って、彼の差し出すプラスチックの椅子に座ってみた。

案の定、どこから来たのかとか、歳はいくつかとか、何の仕事をしているのかといった、「あるある」な質問を受ける。
すると、「レモンジュースでも飲むか」と言って、彼の甥だという若者にレモンジュースを買ってこさせる。
話をするばかりで、どうも商売っ気がない。レモンジュースも普通に奢ってくれたし、無料で射的もやらせてくれた。

さて、他愛もない雑談をダラダラしていると、ついに彼が面白いことを口にした。
「俺はサドゥーなんだ」

サ、サドゥー⁉︎

サドゥーとは、ヒンドゥー教の修行者のことである。

彼が胡散臭い格好をしているのも、これで納得だ。

放浪僧でもあるサドゥーは、あらゆる物質の所有を放棄する。
彼は、今身につけているもの(Tシャツ、肌着、ドーティ(腰巻き)、首から下げている数珠)しか所有していないらしい。着替えも持っていないそうだ。

ここからは、彼の話の全てが興味深い。
以下、名前のイニシャルを取って、彼のことをVと呼ぶ。

インド北部には、ヴァラナシというヒンドゥー教の聖地がある。
Vはそこで6年ほど修行を積んで、歩いて故郷のマハーバリプラムまで帰ってきたと言うのだ。その距離2,000km
所有物がないということは、無一文であるということをも意味する。
だから彼は人々から施しを受けながら、4ヶ月かけて歩き通したらしい。

ちなみに、このお店はVのお兄さん一家が経営しているもので、主にVの甥が店番をしていた。甥は、寡黙で働き者なナイスガイである。
20歳の彼はサーファーでもあるらしく、ちょっとした大会では入賞もするほどの腕前らしい。

お店はちょうど日陰になっていて、潮風が気持ちよかったので、Vと話しながら3時間ほどダラダラと過ごした。

ちょうど昼過ぎだったので、小魚の揚げたものやカニのカレーを食べさせてくれた。
ゴリゴリの家庭料理であるが、普通に美味しい。

さて、昼の最も暑い時間が過ぎて、ぼくが残りの遺跡観光に行こうとすると、「18時頃、またここに来い。俺の兄の家で一緒に夕飯を食べよう」とVが言った。
これはなかなか興味深い申し出である。
Vの兄はビーチの露店と同時に、漁師もやっている。
つまり、彼らの家は漁村の中にあるわけで、インドの超ローカルな家に立ち入るチャンスが訪れたのである。
ぼくのアパートの周りにも漁村があって、家の中の様子や彼らの生活には興味があったので、これは願ってもないチャンスだ。
ぼくは光の速さで、その提案を受け入れた。
ちなみに、Vは家も所有していないので、実質的には兄の家に居候している状態である。

Vが撮ってくれたぼくの写真。結構、気に入っている。



さて、いよいよ夕方。
いったんビーチまで行ってVと合流する。
自転車で通りかかったチャイ売りから、チャイをもらって飲む。
お金を払わずにいただけたのだが、ツケ方式なのか、サドゥー特権なのかは謎である。

その後、1時間ほどビーチの人をぼーっと眺め、暗くなってから彼のお兄さんの家に向かう。

予想通り、漁村の中にある平家建ての1軒家である。
門を入ってすぐに、バイクを置いたり洗濯物を干したりするようなスペースがあり、屋内はシャワートイレ、狭いキッチン、小さな納戸、リビング、ベッドルームがある。屋上もあるようである。

リビング

部屋は、小さい子どもと夫婦の3人で暮らすならば十分な広さであるが、この家には6人が生活している。
Vと、兄夫婦と彼らの3人の子ども(10代半ば〜20歳)である。
昼間はそれぞれ学校なり、仕事なりに行っているし、夜はVと彼の兄はビーチで寝ているらしいので、意外とそこまで気にならないのかも知れない。

犬もいる。
人間が食事をしている最中もおとなしい、賢い犬である。

以降、Vの兄もちょくちょく登場してくるので、イニシャルから取って彼の名前をAと呼ぶことにする。


食事は全員揃ってからということで、待っている間にコーヒーとクッキーをいただく。
ちなみに、家にはぼくとVとAの兄弟だけがいて、他のメンバーはまだ露店の店番をしていた。

その間、彼らと他愛のないおしゃべりをして待つ。
かなり打ち解けて、「またいつでも来いよ」と言ってくれる。
実際、マハーバリプラムは月1くらいのペースで来てもいいと思っていたので、「またすぐに来るからね」と約束した。
本当は、明朝に漁船に乗せてくれるという話もあったのだが、波が高いらしくて「また今度」ということになった。
サーファーの息子と同様、Aも昔はサーフィンをやっていたらしく、次来るときはサーフィンを教えてくれるとも言ってくれた。
「次来るときは、ゲストハウスなんか予約しなくても良いからな。うちに泊まっていきなさい」とAが言った。
彼らと枕を並べて、ビーチで寝るのも面白そうだ。

8時半頃に全員揃って、ようやく夕飯となった。

夕飯は、一般的な南インド料理のドーサ。
焼きたてのドーサを3枚もいただいた。
レストランで食べるドーサは薄くてパリパリしていることが多いが、これは厚めの生地でもっちりしていた。
左上の粉は、エビを乾燥させてパウダー状にしたもので美味しかった。



食後、Vに誘われてビーチまで行く。
ボート型の漁船に腰掛けて、Vが口を開く。
「もし、良かったらでいいんだけど……」

「なるほど、来たな」と思った。

実は昼間の時点で会話に挙がっていたことなのだが、Vは数ヶ月前に交通事故に遭ったらしい。
まあまあ大きい事故だったらしく、膝や腕に生傷や手術痕が残っていた。
また、膝にはサポーターを巻いていて、歩くときは右足を若干引きずっていた。
傷は完治しておらず、痛みはまだひどいようで、再度入院が必要らしかった。
チェンナイには、サドゥーや貧しい人を対象にした慈善施設があって、そこでは食事やベッド代といった入院費用はかからないが、治療代と薬代は自腹で払わなければいけない。
しかし、彼はサドゥーである。お金を持っていない。
彼の家族も貧しい暮らしをしていて頼りにならない。

こういった話を、昼間に聞いていた。

彼が重々しく「もし、良かったらでいいんだけど」と口を開いた瞬間に、ぼくは全てを察した。
実際、彼の話もぼくの予想通りだった。
この話のために、ぼくに近づいて、家族ぐるみで親切にしてくれたとは信じたくなかった。
もしかしたら、事故のことも含めて今までのことは全てぼくを騙すためのお芝居だったのではないか、とすら邪推してしまった。
しかし、彼の痛そうな表情や、彼らの手厚いもてなしは演技だとは思えなかった。

魂胆があったかどうかはわからないものの、一家がぼくをもてなしてくれたのは事実なので、全額とは言わないまでもいくらかは協力してもいいとは思った。

いちおう値段を聞いてみて、ぼくは逡巡した。
出会ってから1日も経っていない男に、躊躇なく差し出せる金額ではない。
でも、困っている修行僧を助けるため、と割り切れなくもないほどの絶妙な金額だった。

彼はしきりに、「ちょっとずつ返すから」と繰り返した。
つまり、完全な施しではなく、お金を貸すという体裁ではある。
しかし、ぼくは最初から返ってこないものだと思っていた。
たとえ、彼にお金を返したいという意志があったとしても、サドゥーの彼に返済能力があるとは到底思えなかったからである。
もしかしたら、少しずつ返してくれるかも知れないが、全額までは望めそうにない。
だから、お金を差し出すとしたら、それはもう施しだと思った方がいい。

ぼくは、連休前夜に調べた航空券の値段を思い出した。
往復の航空券よりは僅かに安い。
じゃあ、どこか遠くに旅行する代わりに、一人の修行僧を救ったということにしよう。ぼくはそう心に決めた。
それと同時に、次からマハーバリプラムに遊びに行くときは遠慮なく彼らのお世話になろう、と決意した。まさか、命の恩人であるぼくを邪険には思うまい。
いやらしい話だが、漁船に乗ったり、サーフィンを教えてもらったり、食事の面倒を見てもらったりすることを何回か繰り返せば、たとえVからの返済がなくても、十分に元が取れるのではないかと思った。

ぼくは彼にまとまったお金を渡した。
今後、これがどのような展開になるかは分からない。

奇跡的に彼から全額返済されるかもしれないし、マハーバリプラムに居心地の良い第2の家ができるかもしれないし、インド人に騙されたちょっと高い授業料になるかもしれない。


↓後編はこちら↓


この記事が参加している募集

休日のすごし方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?