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Chennai Days - 3

東側をベンガル湾に臨むチェンナイは、交易の中心地として栄えた港湾都市である。都市圏人口は1,000万を超える大都会でありながら、爽やかな海風が吹き抜けるこの街は、のどかな港町としての一面もある。都市のかまびすしい活気の中でも、人々の間に流れる時間はゆったりとしており、まるで南の島のような雰囲気が漂っている。

チェンナイのビーチは途方もなく長い。南を見ても、北を見晴らしても、地平線の先まで砂浜が続いている。
果てしなく続くビーチは、この街の人々の心の拠り所になっているようだ。夕方になって、日中の烈しい陽射しが和らいでくると、どこからともなくビーチに人が集まってくる。家族で、カップルで、あるいは仲間同士で、広大な海を眺めながら思い思いの時間を過ごす。

クリケットに興じる少年たち。
波打ち際ではしゃぐ子どもたち。
それを遠巻きに眺める大人たち。
自転車をひきながら、声を張り上げるアイスクリーム売り。
柔らかい砂に腰掛けて、身を寄せ合うカップル。
じゃれあい、交尾をする野良犬。
砂の隙間にわずかに生える草を食む大きな牛。
打ち上げられた何かの死肉をついばむおびただしいカラスの群れ。
砂に足を取られながらもランニングをする若者。
衣服をまとったまま沐浴をする親子。
波打ち際で排便をするおじさん。

夕方のビーチはあらゆる人間の、いや、あらゆる生き物の生の営みで溢れていた。

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同じリズムで繰り返される波の音を聞きながら、今日一日のできごとを振り返る。この街の人たちは、人間の定住が始まったはるか昔から、そうやって一日の終わりを迎えていたのだろう。

ぼくは、漁村まで足を伸ばしてみることにした。
昼間は閑散としていた漁村が賑わっている。ちょうど男たちが漁に出る時間だった。
砂浜に並べられた細長い木製のボートに、漁師たちが網や籠を積み込んで出航の準備をしていた。準備が整った彼らは、声を張り上げて向こうのトラクターを呼ぶ。牽引車から伸びるロープをボートの先端部分に結びつけて、波打ち際まで引っ張っていってもらうのだ。トラクターは、タイヤの半分ほどが海水に浸かるギリギリのところまで、ボートを牽引する。
波打ち際まで連れて来られた木製のボートは後方のスクリューを回して、船出のタイミングを待つ。大きな波が来た瞬間に、船体を押し出すのである。男たちが船の縁を掴みながら、波の状態を見極める。そして、大きな波が押し寄せてきたのを確認すると、力を合わせてボートを押し出し、質素な木船を波の上に浮かべる。
しかし、自然がいつも人間の味方をしてくれるとは限らない。巨大なエネルギーをもった波は、人間に牙をむくこともある。
うまく波に乗れなかったボートは、舳先へさきが進行方向を見失い、波打ち際に戻されてしまう。足を滑らせて転倒する漁夫もいる。それでも彼らは、大いなる自然の力に屈服することなく、再び波に挑む。沖合の豊かな漁場を求めて、何度も何度も海に繰り出す。

出漁前の漁村は、男の世界だ。少年から壮年まで、広い年代の男たちが力を合わせて、船出の準備をしている。海の男たちは引き締まった体つきをしている。そのたくましい肉体が、海がいかに過酷な仕事場であるかを雄弁に物語っている。
女性の姿は見えない。彼女たちは家の中で、息子や夫が無事に海から帰ってくるのを祈っているのだろう。漁に出るボートがもっと粗末だった時代から、漁村の女たちは気まぐれな海に祈りを捧げてきたのだ。恵みを分けてくれますように、大切な人を災いから守ってくれますように、と。

何世代も前の先祖たちから、脈々と受け継がれてきたささやかな日常を繰り返しながら、チェンナイの人々は今日もビーチに集い、平穏に終わった一日を締めくくる。



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