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日本の外国語教育に関して

日本の外国語教育に関して、3ヶ月ほど前に以下のような記事を書いた。

「漢字という表意文字を用いて、中国と交易する時代が長かった日本では、古くから「読む・書く」を重視する言語教育が根付いていた。英語がグローバルスタンダードになり、「話す・聞く」が重んじられるようになってから、せいぜい100年にも満たないわけで、日本人のマインドはそう簡単には変わらない」という趣旨の私見を綴った。

日本の外国語教育に関してはネガティブな意見が多い割に、なかなか根本的な解決に至っていないという現状がある。
それには、上に示したこと以外にも理由があるのではないかと思ったので、今日はそのことについて書く。



まず、人間はギリギリの状態にならないと本腰を入れられない生き物だ、とぼくは思っている。
夏休み最終日に慌てて宿題に取り組むのと同じ理屈である。

「このままじゃダメだけど、遅々として改善されない」という現状は、今はまだギリギリではないということの現れだと思う。
つまり、外国語を話したり聞いたりする能力は確かに重要ではあるが、国全体で見た時にまだそこまでの危機感はないということだ。

その理由は、日本語の勢力が強すぎるからだと思う。
まず、母語として日本語を話す人口が多い。
1億人を超える人が日本語を使用しているわけで、その中だけで生活を完結させ、経済を回していくことは十分に可能だ。

さらに、基本的に「日本人=日本語話者」というのも大きい。
グローバル化が進み、日本に住む外国人が増えているとはいえ、今の日本では基本的にどこに行っても日本語が通じる。
例えば、母語としての人口数だけを見れば、ヒンディー語話者は4億人以上いるが、インド人全員がヒンディー語を理解しているわけではないので、仲介言語として英語を流暢に話す人が多い。
日本の場合は、旅行や仕事を国内で完結させれば、外国語を体得する必要はない。

ぼくは今海外に住んでいるので、英会話能力の重要性を痛感しているし、周囲の人間も外国語教育に高い関心を持つ人が多い。
しかし、日本人のパスポート所持率はわずか25%であり、日本人のおよそ4分の3はそこまで英語を必要としていないのではないかと推測できる。
少なくとも、喫緊の課題とは言い難いと思う。




「日本国内にとどまっている限り、日本語だけでも生活を完結できる」と書いたが、今の日本は鎖国しているわけではない。
身の回りには海外製のもので溢れているし、映画やドラマなど、海外の文化は大量に流入している。
しかし、消費者が直接外国語でやり取りをしているわけではない。
貿易や通訳などを専門的に行なっている人がいるおかげで、ほとんどの国民は外国語を介さずに海外のものにアクセスできる。

例えば、コンピューターは高度な数学の技術により成り立っているが、その仕組みを理解しながらスマホをいじっている人は少ない。
外国語も、それと同じことだと思う。
専門化や分業化が高度に進んだ結果、大半の日本人は外国語を理解していなくても、海外のものにアクセスできるようになった。




確かに、日本では人口減少が続いており、経済活動における海外との結びつきは今まで以上に重要になるだろう。
しかし、いきなり国家が滅亡するわけではなく、その変化は緩やかなものだ。

日本の外国語教育に関しては、来るべき時が来て、国民全員が危機感を抱いた時、自然と変わっていくのではないかと思う。

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