『Jigarthanda Double x』
2023/11/10公開のタミル映画。
出演は Raghava Lawrence や S. J. Suryah など。
SNSで日本語での好意的なレビューが多いので観てきた。
面白かった。
ただし率直に言うと、面白かった、けど…、という感じ。
以下、ネタバレ含みで感想を。
作中、「Pandyaa western」という言葉が出てくる。
かつてインド南端部にはパンディヤ王朝という王朝が存在し、今もタミルナドゥ州南部はパンディヤ地方と呼ばれているらしい。
つまりパンディヤ・ウェスタンとは、タミル式西部劇とでも言うことができるだろうか。
実際、この映画は全体的にレトロでノスタルジックな風合いになっていて、個人的に好みのテイストだった。
音楽も良かった。
この「パンディヤ」は、Ceaserによる「パン・インディア(汎インド)」の聞き間違いから始まっている。
この映画の設定である1975年以前は、タミル映画といえども主演を務める俳優は色白の人がほとんどだったらしい。
しかし、南インドに定住するドラヴィダ系の人々は浅黒い肌をもつ人が多い。
だからCeaserは、ドラヴィダ人によるドラヴィダ人のためのヒーローになりたかったのだと思う。
ところで、1975年と言えば、スーパースター・ラジニカーントがデビューした年。
色黒のラジニはひょんなことから映画デビューして、次々とヒット作を生み出し、インド全土でも人気を誇る有名俳優になった。
この作品には、ラジ二へのオマージュみたいなのも含まれているのかもしれない。
さて、この映画に対するネガティブな感想を以下に書く。
端的に言うと、この映画の主題が分からなかった。
ぼくが『Jigarthanda』を見て受け取ったメッセージは以下の3つ。
①映画の力
②悪名高いギャングに対する見方の変化/ギャングの更生劇
③山岳地帯に住む少数部族への虐殺問題
①がこの映画のオリジナリティで、秀逸な部分だと思う。
ただし、②と③は一つの映画で同時に扱えるほどライトなテーマではない。
つまり、②か③のどちらかにテーマに絞った方が良かったのではないかということだ。
特に、山岳地帯の少数部族に関しては、展開の重さのわりに尺が短くて入り込むことができなかった。呆気に取られているうちに、話が終わっていた。
いっそのこと、思い切って最後の部分は削ってしまって、Ceaserが村の英雄になるハッピーエンドでも良かったのではないかと思う。
あるいは少数部族をどうしても取り扱いたいのなら、前半部分を大きく削って後半の尺を伸ばすとか。
というのも、②も③もどちらも、どちらかを主題にした秀作がすでに多数存在しているからだ。
一つのテーマに絞って丁寧に3時間描ききる他の映画に比べると、『Jigarthanda』はどうしても中途半端な印象を抱いてしまう。
鑑賞後、「で、何が言いたかったの?」という感想になってしまうのだ。
だから、②か③を主題にしつつ、「映画の力」について考えさせる映画にするべきだったと思う。
まあ、この辺は好みの問題かもしれないが。
最後にポジティブな感想を。
本作のセリフ中にも登場したが、近年のインド映画はPan India(汎インド)が一つのトレンドになっているらしい。
地域ごとに多様な文化や言語をもつインドにおいて、特に北でも南でも流行るような映画を作ろうという動きだ。
要は、空間的な普遍性を追求しているということができるかもしれない。
今から半世紀も前の1975年が舞台の本作では、登場人物が「This is Cinema」と発するシーンが度々出てくる。
インドにおける映画の役割は、日本におけるそれとは大きく異なるような気がする。
インドの映画はただの娯楽ではなく、プロパガンダを含んでいたり、市民の政治参加を促すものだったり、正義とは何かを考えるものだったり、部族の団結を鼓舞するものだったりする。
そういった特別な力をもつ「映画」に対して、50年前の人物たちが「映画とはこういうものだ」と主張するのはとてもユニークだし、現代の我々が「映画とは何か」を考えるきっかけを作るというのはとても意義のあることだと思う。
先ほどのPan Indiaとむりやり関連付けるなら、これは時間的な普遍性を描いた作品なのではないかと思う。
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