【インド雪山紀行11】プージャ始まる
2023/12/27
本日は休息日。
今日の夜から明後日の朝にかけて、年に1度の重要な仏教行事がTundupの家であるらしく、Tundupも彼の奥さんも朝から忙しそうに働いている。
手持ち無沙汰の私が「何か手伝おうか」と声をかけるも、「いいからいいから、温かい部屋で待ってて」と断られる。
実際のところ、手伝うも何も勝手が分からないので、足手まといになる可能性の方が大いに高く、おとなしく部屋で寛ぐことにする。
ところで、この仏教行事のことをTundupは「プージャ」と言っていた。
インドに住んでいると「プージャ」という言葉はよく耳にする。
日本語にすると「お祈り」とかそういう意味で、高価で大きなものを購入した時や祝日の際にプージャを行う。
私はてっきり「プージャ」をヒンドゥー教関連の言葉だと思っていたが、仏教行事でも「プージャ」という単語を使うようだ。
なお、今回のプージャは「カンソル・プージャ(Kangsol Puja)」といって、旧年の厄を払い、新年の福を迎え入れる意味があるらしい。
あまりにも退屈なので、外を散策する。
正午頃、2人の仏教僧が家にやって来る。
今夜のプージャで使用する像を作成するようだ。
バーリ(麦の一種)を粉にしたサンパと呼ばれるものを水でよくこね、形を整える。
それにバターで飾り付けをしていく。
午後1時、シャワーを浴びる。
カシミールもラダックも部屋にろくな暖房設備がなく、全裸になる勇気がなかったので、実は10日間もシャワーを浴びていなかった。
ほとんど汗をかかないので臭くはない(と自分では思っている)のだが、ひどい乾燥で全身がガサガサするので、一回全身を綺麗にしてから保湿クリームを塗ろうと思ったのだ。
シャワーといっても、浴室として案内された屋外の小さな小屋で、バケツに入った熱いお湯を桶で浴びるだけである。
気温はマイナス10℃。
全裸になるのは躊躇われるが、それよりも長くシャワーを浴びていないことの気持ち悪さの方が勝って、お湯が冷めないうちに光の速さで体を洗った。
すぐにタオルで全身を拭き、ベタベタに保湿クリームを塗りたくって、急いで洋服を着込む。
体を洗っている間は地獄の寒さだったが、終わってみれば最高に気持ちが良い。
そのまま手洗いで衣類の洗濯も済ませる。
手持ちの洋服に余裕があるので実際は洗濯をする必要はなかったのだが、濡れた衣類がカチカチに凍っているところを見てみたくて、洗って干した。
明日の朝が楽しみだ。
さっぱりした気持ちで部屋に戻ると、プージャの準備はかなり進んでいた。
謎の像が真っ赤に色付けされて、何だか雰囲気がある。
暇を持て余したので、午後3時に再び外に出る。
洗濯物を確認すると、何ともう凍結していた。
さすがにカチンコチンとまではいかないが、タオルを立てて持てるほどには凍っている。
水汲みを手伝う。
一般的にラダックの民家は水道管が通っていない。
レー市内では路地のいろいろなところで共用の水道を見かけたが、ザンスカールでは小川から生活用水を汲む。
凍結した川の表面の一部に割られているところがあって、そこから手を突っ込む。
人力で運ぶには重量に制限があるので、これを1日に何往復もする。
なかなか骨の折れる作業だ。
さっきのシャワーで大量に水を使わせてもらって感謝だ。
一気に時間は飛んで、仏教のプージャは午後6時半に始まった。
面白いことに、家主のTundupも彼の奥さんもプージャには同席しない。
祭具が整えられた小部屋で、2人の僧がひたすらお経を読むだけである。
仏教とはいえチベット仏教なので、お経の雰囲気は日本のものとは異なる。
今日はまだ前哨戦なのか、30分ほどで儀式は終了。
明日は朝から夕方までプージャが行われるらしい。
手作りのマトンモモの夕飯で今日は終了。
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