空気が読める人か、読めない人か、あえて読まないのか?
九州での大変な豪雨は、私の地元でもある九州なので、他人事には思えないきよぼーです。
本日もまた個人的な意見を書きます。
熊本地震・熊本豪雨、草木のように若芽や新芽が出て、がんばろうとする地域に、この衝撃は、とても胸が痛みます。
そんな中、大変だ~支援を~と理解している団体がある中、全く場違いなエンタメ的なコメントを残す東京人がいました。
今の状況を本当に理解して、そのコメントをわざわざ書き込んだのでしょうか?
心配でたまらない・夜も眠れない人がいる中、豪雨のあと片付けで大変な中、場違いな空気の読めない書き込みは、不要です。
言い分は、わかります。
希望の光を!どよんとした空気ではいけない!
でも受け手には、そんな心の余裕はない。
応援しているからこそ、明日は我が身であり、先陣を切って支援に当たる大将の気持ちを分かってない。
みなさん優しいから、何も申し上げませんが、私はこんな書き込みを、違うところでも、何度か見てきました。
つまり、今書き込みをする人は、空気が読めてるのか?
空気が読めないのか?
あえて、空気を読まないのか?
とても私では、理解できません。
この2日間、地元や実家が心配であり、何もできず、仕事をしてきました。
何かの支えになればと思い、何も出来ない辛さを分かってほしいなどとは、思ってません。
しかし、日本という広いようで狭い国土で、なおかつ、ネット上の書き込みは、瞬時に出回るので、気をつけなければならないかと。
と言いつつ、空気を読まず、書き込みを致しました。
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