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仕事について両親と話をした話(主に父との関係性について)

私はかなり恵まれた環境で育ててもらえたと思う。

母は優しく、好きなことが似ていて、昔から一緒に出かけたり、裁縫を教えてもらったり、私の心の支えであった。


父は厳しい人だったが、その厳しさがあったお陰で、中学、高校、大学と私は優等生でいられることができた。

そして、進学や就職にかかるお金についても、親が全て出してくれていて

おかげで私は何不自由なく勉強して、目標だった看護師になることができた。

だからこそ、心療内科に通い始めたこと、そして現在の職場を辞めていわゆる『普通のキャリア』を捨てる決断をしたこと

どちらも、今現在もものすごく申し訳無さを感じている。

父のことを勘違いしていたと分かった日

心療内科に通い始めてすぐ、母にはその事を話した。

ただ、父には言わないでほしいと頼んだ。

頭の固い父は、もしかしたら精神疾患なんて甘えだと言うかもしれない

始めたばかりの仕事で甘えたことを言うなと叱られるかもしれない

下手したら勘当されるかもしれない

そう思うと、怖くてどうしても言えなかった。
母は、何も言わずに了承してくれた。

しかし、ある時
どうしても家に一人でいるのがしんどくなって、実家に帰ったとき

仕事の状況について話しながら

耐えきれずに家族の前で泣いてしまったことがある。

母は私の状況を知っているので良いとして

父にこんな姿を見せてしまって、どうしようと思っていた。

しかし、父の反応は思っていたものとは違った

『お前はまだ見習いみたいなものなんだから、出来ない事をそこまで思い詰める事はない。

それに何より大切なのはお前の身体であり、人生なんだから

それが保てないくらいなら、無理して続けることもないだろう』

年功序列で勤続年数が全ての時代を、しっかり勤続年数を重ねて生きてきた父に、まさかそんなことを言われるとは思わなかった。そして更に泣いた。

それから父は、お前は忙しいからと、たくさんのおかずやお菓子を持たせてくれて

泊まれないなら今日はこれで帰れと財布からタクシー代までくれた。母はタクシーを呼んでくれた。

タクシーの中で、嬉しさと安心感と申し訳無さ(と翌日の仕事への不安)でまた泣いた。

父は厳しい人だけれど
家族のことを第一に考えてくれる人だった。

転職に際して

今日、転職しようと思っていることは、両親共にきちんと伝えた。

実は、心療内科のことについては、まだ父にはきちんと話した訳ではないが、私の様子を見ておおよその見当はついているのではないかとおもっている。

母は、異動とかはできないのかな?と、なんとなく渋っている様子もあったが(当然である)
最終的には『あと少し、頑張って』と励ましてくれた

そして帰り際、父は再度

『身体が一番、無理はしないで』

と言ってくれた。泣きそうになった。今思い出して泣いている。

私はこれまで、ここまで面倒を見てくれる親に心配をかけたくないという思いから

親に辛いことを辛いと言うことを避けていた。

しかし、23年目にして改めて、親に甘えられるありがたみを噛み締めている。

転職したら、しばらくは実家にお世話になることになると思う。

申し訳無さは消えないけれど、新しい職場でしっかり仕事をして、一人でもやっていけるということを示して、両親を安心させたいと思う。

そしていつかは、母のような静かな優しさ、父のように家族を大切にできる心と力を持った親になりたい。

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