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ぼくのおばあちゃん
私のおばあちゃんはパワフルババアだった。
太っており、身体がまん丸。「可愛い」と評判のおばあちゃんだったが、大阪の八尾出身で河内弁バリバリ、めちゃくちゃ口が悪い。
そんなおばあちゃんをいくつかのエピソードを交え、紹介。
垂れた乳で汗を拭く
おばあちゃんは巨乳で昔はよくモテたらしいが、案の定、垂れた。
「胸が痛い」
と言うから、母がおばあちゃんの胸を見たら垂れた乳がズボンに挟まっていた、という件(くだり)がお決まりだった。
おばあちゃんは汗っかき。常にタオルを持っていたが、たまに忘れるときがあった。そのときは「あっついわぁ」とか言いながら、垂れた乳で顔の汗を拭く。
それで拭けるのか? ベタベタしないのか? とか思ったけど、そんな問題じゃない気がする。
バイト先に来る
私がスーパーでアルバイトしていたときのこと。
バックヤードを整理をしていたら、店内から両開きのドアを押して誰かが入ってきた。腰の曲がった丸いババアだった。
よく見ると私のババアだった。
「きよさん、久しぶりやなぁ」
バックヤード全体に響き渡るような声でおばあちゃんは言った。
「おばあちゃん、あかんって」当時高校生だった私は図々しい身内を見られて大変恥ずかしかった。
おばあちゃんは私の目の前まで来て、こう言って去っていった。
「頑張れよ」
これを言いにわざわざ店に寄ってくれたのだった。
嬉しいんだか、ようわからんが、とにかく去っていく後姿だけはカッコ良かったのを覚えている。
病院で苦情を言われる
私は創価学会員。そもそもウチが創価学会に入ったのはこのおばあちゃんが始まりだった。
創価学会がバリバリ信者を増やしていた60年代、70年代におばあちゃんは大活躍。折伏(学会に誘うこと)しまくり、表彰されまくっていたらしい。
ある日、おばあちゃんが入院した。私はよく見舞いに行っていたのだが、その度に隣のおばあちゃんが文句を言ってきた。
「この人、お経を読んでうるさいんです」
ウチのおばあちゃんは夜中でも、昼間でも、「南無妙法蓮華経」を唱えまくっていたらしい。
辞めるように言ったが、言うことを聞くようなおばあちゃんではない。
結局文句を言っていた隣のおばあちゃんはパワフルババアに誘われ、創価学会員になった。
デイサービスの若い子に恋をする
おばあちゃんは週3回くらいデイサービスに行っていた。
その日になると、おばあちゃんは朝から張り切ってお化粧をする。
妹に聞くと「おばあちゃん、デイサービスの若い男の子に恋してるらしい」とのこと。
男の子は20台前半、私とそう変わらない歳だった。
ある日、デイサービスから帰ってきたおばあちゃんはこう言った。
「今日、あの子が体洗ってくれてなあ、『ここ触れ!』って言うたろか思たわ! ギャッハッハッハッハ」
こんなパワフルババアはそもそもデイサービスに行く必要があったのか?
恋をしていたおばあちゃんは大変楽しそうだった。
パワフルババア、死す
おばあちゃんは急に体調が悪くなった。
おばあちゃんっ子だった私は毎日のようにお見舞いにいった。
一緒に歌を歌ったり、折り紙を折ったり、
しかし、日に日に弱っていった。つい最近まで若い子に恋をし、お化粧をし、乳で豪快に汗を拭いていたパワフルババアがついに話せなくなった。
「おばあちゃん……ありがとう……」私はおばあちゃんが亡くなる前日、泣きながらお礼を言った。「これが最後」という予感があったのだろう。
次の日、おばあちゃんは綺麗な顔で亡くなっていた。ひとつのパワフルな人生が終わった瞬間だった。
パワフルババア、再び
妹に息子が産まれた。
初めて見に行ったとき、甥っ子は私の顔を見るたび、ニタ~っと笑う。
「なんでお兄ちゃんの顔見たら笑うんやろ?」妹も不思議に思っていた。
その後も妹から甥っ子の写真が送られてくる。
その写真を見るたびに思うことがあった。
「段々、おばあちゃんに似てきてる……」
笑い方、笑顔、素の顔、どれを見てもおばあちゃんそっくりだ。
これはもしかして、おばあちゃんの生まれ変わりなのでは? と家族で話題になった。
それなら私の顔を見て笑顔になるのもわかる。おばあちゃんは私のことが大好きだったのだ。
転生に成功し、妹の腹から出てきたおばあちゃん。本当にそうなら、この甥っ子はかなりのパワフル野郎になるに違いない。
次はどんなパワフルな人生を送るのだろう?
前世の勢いのまま、世界を平和にしてくれ、甥っ子(おばあちゃん)よ。
働きたくないんです。