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他人のふんどしで相撲をとる市会議員

市会議員の家に仏壇を安置し、テーブルに出されたハッピーターンをむさぼり食っていたときのこと。

前に座っていた市会議員がハッピーターンを隅に追いやり、三枚の写真を出した。

「あっ……ハッピーターンが……」と思いつつ、渋々写真に目をやると、その市会議員と奈良県知事が仲良さそうに写っていた。

市会議員は少々鼻を膨らませ、指についたハッピーパウダーをベロベロ舐めている私と、横に座っている店長を交互に見ている。なにかを期待している様子だ。

議員はこの写真を自慢したいのだろう。しかし、アル・パチーノやジョディ・フォスターならともかく、奈良県知事だ。果てしなく微妙である。

この議員の考えていることはわかる。「奈良県知事と仲良く写真を取れるくらい私はすごい市会議員なのですよっ!」ということを暗に言いたいのだ。この鼻の膨らまし方は間違いなくそうだ。

だから一般の人が「キムタクと写真撮った! 見て見て!」と自慢するのとはワケが違う。この議員は他人の顔で自分の評価を上げようとしている。我々の税金を動かす人間がこんな小物でいいのか。

私はこういうのが鼻につくと、一気に態度に出るタイプだ。普段は私がリードして愛想良く喋るのだが、このときは押し黙ってしまった。

店長は少々ボケてて腹も出ているが、私のことを本当に理解してくれている数少ない人である。私の心境を察し、店長から話始めた。

「あぁ~! 奈良県知事と! すごいですね!」

「そうなんです! この前イベントでお会いしましてね」市会議員は待ってましたと言わんばかりにフガフガ言いながら話始めた。「このあとお食事にも行きましてね!」

「そ、そうなんですね!」店長は私とよく似ている。店長だって絶対「なんやコイツ。しょうもないやっちゃな」と思っているハズだが、そこはさすが社会人生活30数年。そんなことはおくびにも出さない。

と、こんな感じで数分やりとりが続いた。私は最後まで押し黙ったままであった。

★★★

この他愛もない話で、私が言いたいのは

「他人のふんどしで相撲を取ろうとすな」

ということである。

ちょっと前の選挙では「希望の党」が人気だった。小池百合子もしっかりしていて、それはいいのだが問題は候補者の選挙ポスターである。

小池百合子の顔がドーンッっと大きく写っていて、肝心の候補者の顔は隅にチョコンとしか写っていない。これじゃニュースを見ない人はどっちが候補者かわかりゃしない。

当時、絶大な人気を誇っていた小池百合子の顔を写しておけば、投票してくれるだろうという安直な考えのクソみたいな選挙ポスターだった。

勝つために最善を尽くすことに私は異論はないけど、これは違うと思う。国民をダマしている。国民を舐めている。

カフェ会で出会った若い起業家にもこんなのが何人かいた。「自分がなにをしているか」を語る前に著名人と写った写真を見せ、そのときの様子、その著名人との関係を延々と語るのだ。

私たち一般人が仮に安倍首相と写真撮っても、「オレすごいっしょ」とはならんだろう。たまたまなんだから。

政治家や起業家、社会での地位の高い人はその著名人とのありもしない関係性をことさら強調し、自分の評価を高めようとする。たまたま一緒に写真撮っただけなのに。

★★★

私たちが人を評価するとき、「その人がどんな人か?」「その人がなにをしてきたか?」というのを知りたいのである。

「どんな著名人と知り合いか?」「どんな偉い人と写真を撮ったか?」なんてどうでもいい。ワシかて写真ぐらい撮ろう思たら撮れるわい。

この辺勘違いしている人が本当に多い。特に政治家。

若い人の投票率が低い。「面倒くさい」「興味ない」というのもあるけど一番の理由は「誰に投票したらいいのかさっぱりわからない」だと思う。

党首の顔だけで当選しようとするわ、選挙中はなにも語らず名前連呼するだけだわ、語れば現政権の悪口しか言わんわ、候補者がどんな人で、どんなことをしてくれるのか、皆目見当つかないのだ。

他人に依存し過ぎ。こんな自分のないヤツに政治を任せちゃおけん。

ということで、私は批判の気持ちを込めて、その市会議員が仏壇屋の客であろうが、あのときは押し黙ったのだった。一般の人は問題ないけど、政治家がそんなことをしちゃいかん。

カフェ会で出会った若い起業家も苦労して成功したんだから、もっと自分を誇っていいと思う。それだけで充分すごい。著名人との写真とか、別にどうでもいいから。

どんなに成功した人も「他人のふんどしで相撲を取る」ような人は、ちょっと残念に思う。素直に自分を語れる人は、結構少ない。

#仏壇 #政治家 #写真 #エッセイ

働きたくないんです。