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そり立つ壁と清正の城

 私は熊本城の石垣を見ながら、つぶやいた。
 「『NINJA』のそり立つ壁にそっくりだ……」
 そのつぶやきも周りの声にかき消された。うしろから多くの兵士が叫びつつ、石垣に向かって走っている。石垣の上からは雨のように矢が降り注いでくる。

 今は西南戦争の真っただ中だ。私は薩摩の兵として、熊本城に立てこもった新政府軍を相手に戦っている。

 さきほど私がつぶやいた『NINJA』だが、これはテレビ番組のこと。運動神経に自信のある参加者が8つの障害物のあるコースを乗り越え、ゴールを目指す。第一の障害物は直径1メートルほどの浮かんだ島をいくつか飛び乗る、という簡単なものだが、最後になるほど難しくなる。

 『そり立つ壁』というのが、最後の関門だ。半月の形になった壁を登る。半月の内側を走って上にいくイメージ。短い助走で登らないといけないのがこの障害物の難しいところ。毎回100人ほどエントリーしてクリアできるのは1~2人くらいだ。

 私はNINJAに過去12回出場したことがあるが、いつもこのそり立つ壁で脱落していた。

 話は変わるが、私みたいなテレビ番組に出るような現代の人間が、なぜ明治時代に起こった西南戦争に参加しているのかというと、タイムスリップをしたからだ。

 どのように時空を超え、明治時代に来たのか。そして、なぜ新政府軍ではなく、薩摩軍についているのか。話すつもりはない。非常に長くなるし、さして面白い話でもない。

 今、問題なのは熊本城の石垣だ。熊本城に攻め込むにはこの石垣を登らないといけない。石垣は上にいけばいくほど、傾斜がきつくなっており、最初は「おりゃ~これくらいの石垣大したことねえ」と勢いよく登り始めるのだが、上にいくと、傾斜が激しくなり、石垣が頭上を覆う。

半月のようになっているのだ。そり立つ壁と全く同じ形である。

 この石垣は『兵士返し』と呼ばれている。戦国時代、秀吉に仕えた加藤清正が二度にわたる朝鮮の役で、思いついたアイデアらしい。

 「なにをじっとしちょりもす。早く登るでごわす」さっきから何度も登ろうとして、失敗しているヒゲ面の兵士が汗ダクで言った。

 私はその声を無視し、さらに思い出にふけった。

 NINJAのそり立つ壁をどうしてもクリアしたくて、家に自家製そり立つ壁を作った。仕事から帰ってきたら、練習。休みの日もひたすら練習。テレビの取材も来て、話題になったこともある。しかし、反響は芳しくなく、「なんでそこまでするの?」と疑問の声が上がったそうだ。その中にはネット上で私のことを「壁男」と呼んで馬鹿にしている人もいる。

 「あの壁男まだあきらめてねえの? つーか、仕事しろよ」こんな書き込みを某掲示板で見かけたときは、悔しくて眠れなかった。

 小学5年の息子は学校でいじめられているらしい。「やーい、やーい、壁男の息子~。家でそり立つ壁の練習ばっかしてっから、算数できねえんだろ~」息子はほぼ毎日泣いて帰ってくる。高校2年生の娘もしきりにこのようなことを言う。「もう諦めたら?」。どちらも私のせいで苦労をかけている。

 しかし、私にはNINJAがすべてなのだ。諦めることはできない。クリアしたら500万円がもらえるが、金の問題じゃない。プライドの問題なのだ。

 そろそろクリアしないといけない。自分のため、迷惑をかけている家族のためにも。

 そんな決意をしたときだ。明治時代に来てしまったのは。こちらに来てそろそろ3ヶ月経つが、平成ではどのような時間の経ち方をしているのだろう。いざ帰ってみたら、それから100年後、なら、えらいことだ。家族に会えないのはまだしも、NINJAが終わってしまうではないか。続いてたらいいんだけど。

 「おい。おぬし、いい加減登ったらどうでごわす!」さきほどの兵士が怒鳴りつけてきた。「皆頑張ってるんでごわす。この壁登らないと、城に入れもしないのでごわすぞ」

 「あ、ああ。わかってるよ」私は気のない返事をし、改めてそり立つ壁そっくりの石垣を見上げてみた。

 さきほどから何人もの兵士が登ろうと悪戦苦闘しているが、全然ダメだ。そうじゃない。もっと助走をつけないと。


 「よし、じゃあそろそろ行くか」私は壁から30メートルくらいのところで、助走を始めた。石垣に差し掛かり、更に上を目指す。そり立つ壁は走りやすかったが、これは石だ。凸凹してうまく走れない。清正ってやつはすげえ嫌なヤツだ。走りやすくしとけ。

 「おりゃああああ」私は叫びながら、上を目指す。しかし、頭上には石垣。上に手すらもかけることができない。絶望しながら私は下に落ちていった。

 背中から落ちたため、しばらく息ができなかった。その間も矢は降り注いでくるので、木のしたに行き、少し休憩した。

 皆、助走をつけて、何回も登ろうとしている。矢に刺さった死体があちこちにあり、助走もつけにくい。そんな中これを登りきるのは不可能に思えた。

 しかし、私なら登れる。なぜかそんな確信があった。そり立つ壁に人生を捧げた男。そり立つ壁に人生を狂わせた男。そんな私だから、この石垣もクリアできる。今こそ、努力の成果を見せるとき。この瞬間のために私は生きてきたのだ。

 私はゆっくりと立ち上がり、再び走り始めた。「次はいける。次はいける」不思議な自身に満ち溢れていた。努力は裏切らない。この石垣を登るために生まれ、努力してきたのだ。この石垣を登るのは使命なのだ。

 「うおおおおお」私は石垣をのぼり始めた。一度目とは勢いが違う。周りの音は一切耳に入ってこない。

 私は頭上を覆う石垣を見上げ、必死に手を伸ばした。
 「やった!」石垣の上に手をつくことができた。そのまま、登る。

 石垣の上に立ち、下を見た。薩摩の兵が歓喜の声をあげている。一番乗りだ。戦場の一番乗りは名誉だとされている。

 私は歓声に包まれながら、家族のことを思い浮かべていた。妻の罵声、娘の呆れ顔、息子の泣き顔……。皆、ありがとう。家族の協力のおかげでこのそり立つ壁のような石垣を登ることができた。

 なぜタイムスリップしたのか、なぜ薩摩軍についたのか、今わかった。神様が私の能力を存分に発揮する機会を与えてくれたのだ。そして、今、成功した自分がいる。使命を果たした自分がいる。

 幸せな気持ちに包まれながら、うしろを振り返った。そこには新政府軍の兵士が10人ほど私を取り囲んでいる。

 戦い方は知らない。というか、この石垣を登るのに邪魔だから刀は下に置いてきてしまった。

 そんなことは関係ない。長年の努力が報われたのだ。こんな幸せなことはない。

 「ああ、神様、我が家族、ありがとう」

 私は幸福に包まれながら、新政府軍に突っ込んでいった。

#小説 #ショートショート #短編 #熊本城

働きたくないんです。