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悪魔がいけにえ

 クソ、部長め。いつ思い出してもイライラする。
 あのオコゼみたいな顔、丸まった背中、地面をこすりつけるような歩き方、すべてが嫌いだ。
 今日なんて「ちょっと斉藤くん。昨日の報告書、日本語がなってないよ」だって。
 オコゼが偉そうに日本語語るんじゃねえよ。畜生。
 ああ、不倫とかで左遷にならねえかな。まあ、あんなオコゼと不倫するようなモノ好きな女はいないか。

 「うごおおおおおおおおお! ドーン! ドーン! ギイイイイイイン!」
 なんだよ。うるさいな。誰だよ、こんな錆びれた肉工場で叫んでるやつは。

 あっ、そうだ。オレ今、チェーンソーを持った殺人鬼に追われてる最中だった。部長の文句をブツブツ言ってたら、すっかりそっちばかりに気がいっちゃったよ。テヘッ。

 なんでおれが肉工場で殺人鬼に追われているのか。その説明はパスだ。どうでもいい。それより問題は部長だ。
 アイツ、「失敗の責任は私が取る!」とかなんとか言って、オレが失敗したとき、「自分でなんとかしろ」とか言い出すし。口ばっかりじゃねえか。畜生。

 「ギイイイイイイイイン!」
 ああ、殺人鬼がかなり近づいているようだ。ロッカーの中に隠れてるけど、見つかるかもな。あっ来た来た。おうおう、かなり怒ってるよアイツ。

 バレるかな? バレると言えば、あの部長、カツラかぶってるのバレバレなんだけど、バレてないとでも思ってんのか? ハゲのくせに偉そうに上座座ってんじゃねえよ。畜生。

 「うおおおおおお! ドオオオオン!」
 あっ、バレた。近くで見るとグロいなあコイツ。チェーンソーの音ってこんなうるせえんだな。ああ、ダメだ。チェーンソーをそんなブンブン振り回したら。簡単によけられる。ホラ、ひょいっとな。

 どうしよう。次はどこへ隠れるか。まあ、出口探せばいいんだけど、明日仕事だしなあ。「殺人鬼に襲われてました」と言えば、会社休めて、あのオコゼの顔を見ずにすむ。
 よし、それで行こう。次は車の下に隠れるか。あっ、でもガレージには殺人鬼の狂ったパパがいるんだよなぁ。事務所には包丁持ったママがいるし、肉処理場では狂った兄がいるし、庭には鎌を持った弟がいる。

 うーん。結構隠れるところが少ないんだよな。どうしよう。

 確実に誰もいないところは、冷凍庫だ。寒いけど、仕方ない。でも、『ロッキー』みたいに釣ってある肉バシバシ殴ったりできるし、案外いいかも。あとは、『テキサス・チェーンソー』でジェシカ・ビールがブルブル震えながら隠れてたりもしたっけ。あのシーンは乳がエロかったなぁ。

 「うおおおおお! ギイイイイイイン!」
 うしろから殺人鬼が来てるから、ちょっと急ぐか。元陸上部の脚をナメるなよ。そういや部長も陸上部だったらしいな。100m走で全国行ったとか言ってたけど、絶対ウソだ。あの短足でどうやってそんなタイム出せるんだよ。畜生。

 冷凍庫についたけど、やっぱり寒い。大きな肉がたくさん垂れ下がってるのは予想通りだけど、こんな寒いのか。吐く息、白~。耳、痛~。皮膚、ヒリヒリ~。他のところにしようかな。

 ん? あの吊るされてる肉、なんか変だぞ。動いてるし。

 あっやっぱり人だ。縛られた両手がフックにかかっている。これは身動きとれないな。
 うわー。顔が霜だらけだ。上半身裸でブルブル震えている。オレが目の前にいることすら気がつかないんだろう。

 ちょっと霜を取ってやるか。ゴシゴシ、と。ん? コイツ、どこかで見覚えが……。このオコゼみたいな顔は……。

 はっ! やっぱり部長だ! なんでこんなところに!? カツラもバリバリに凍っていて、頭皮にしっかりくっついている。部長、これで強風の日も安心ですね……とか言ってる場合じゃねえ。

 「ギイイイイイイン! うおおおおお!」
 殺人鬼がまた近づいてきてる。とりあえず助けるか。

 「部長! 大丈夫ですか?」
 「う……た、たすけてくれ……」
 「すぐ助けますんで!」
 おれは台を持ってきて、両手をフックから外そうとした。しかし、手がかじかんでいて、なかなか取れない。

 ん? ちょっと待てよ。なんでオレ部長を助けようとしてるんだ? ザマーミロじゃないか。放置するか。そうすりゃ、もう会社で顔を合わさずに済むし……

 「ギイイイイイン!」
 そうしよう! う、うん! 殺人鬼も来てるしな! 仕方ないよな!
 「お、おい! キミは斉藤君じゃないか!」
 「うわっ、ぶ、部長、お、お疲れ様です!」
 「お疲れ様じゃないよキミ! は、早く助けたまえ!」
 「え、え、ちょっとそれは……」
 「は、早く!」
 「殺人鬼も迫ってますし……」
 「なにを言っとるんだキミは! 評価が悪くなってもいいのか!」
 「そ、それはマズイですけど。でも、ごめんなさい!」
 「斉藤君、待って! 頼むから! 行かないで! キミは首だ! 首だあああ!」

 部長、さようなら。お世話になりました。葬式にはしっかり行きますんで。香典はケチりますが。

 部長がなんか叫んでる。チェーンソーの音がかき消されるくらいの大声だ。「斉藤! アホ! ボケ!」とか聞こえてくるな。うん、気にしないでおこう。

 部長と二度と顔を合わないとなると途端に明日の出社が楽しみになってきた。もう家に帰ろーっと。

 でも、やられっぱなしも腹立つから、殺人鬼の顔に一発ストレートでも入れとくか。部長にも入れとけばよかったね。さて、どこかなぁ? あのアホ(殺人鬼)はぁ? うふふふふふ。

 
 殴った右手がまだ痛むけど、今日は気分も晴れやか。いつもより20分も早く出社しちゃったよ。
 いつもは到着する前、猛烈な吐き気に襲われるのだが、今日はそんなこともない。オフィスの入り口がテーマパークの入場ゲートに見えるぜ。
 「おはようございまーす!」
 「おはよう、斉藤君……」
 …………ぶ、ぶ、部長! な、な、なんで部長が出社してるんだ? 昨日、死んだハズじゃあ……。
 「ぶ、部長。お、おはようございます」
 「斉藤君、ちょっといいかな?」

 うわ、ここはいつも叱責されている会議室だ。ここに来ると胃がキューっとなる。
 「ぶ、部長、ご無事でなによりです」
 「斉藤君、私がどうやってあそこから逃げたかわかるかね?」
 「ど、どうしてですか?」
 「キミ、帰り際、殺人鬼にストレート入れたよね? そのあと殺人鬼が苦しみ出して、一家総出で病院に行ったのだよ。その間に難なく逃げることができた」
 「そ、そうなんですね! わ、私の思惑通りです」
 「…………」
 部長の顔がどんどん赤くなってきた。手もブルブル震えている。お、おかしいなぁ、ここは寒くないハズなのに、な、な、なんで震えているのかなぁ?

 「お前は首だ! 私を置いて逃げやがって!」
 「えーーー! 誤解です! 私は部長が逃げられるようにと」
 「そんな強ければ私を助けたあと、殺人鬼を殴ればいいだろう」
 「そんな余裕はなかったんです!」
 「ウソつけ! チェーンソーの攻撃を満面の笑みで小指で止めて、ものすごく綺麗な右ストレート入れてたじゃないか! しかも中島みゆきの『地上の星』を口ずさみながら!」
 「そ、そうでしたっけ……?」
 「あんな巨体が派手に吹っ飛ぶの初めて見たよ! 全盛期のシュワちゃんでもそんなことできんわ! お前は首だ! 早く会社から出て行け!」

 畜生。首になっちまった。
 あの殺人鬼、あのナリで病院行ってんじゃねえよ。つーか、一人で行けよ。ガキか。
 おれが首になったのはアイツら一家のせいだ。復讐してやる。

 自分から再び赴くとは思ってなかったぜ。狂った一家が経営するこの肉工場に。
 待ってろよ。殺人一家。全員、『地上の星』がトラウマになるくらいボッコボコにしてやる。


 3日後、おれは警察に表彰された。『100人以上殺した恐怖の殺人一家の逮捕に貢献』と新聞にも載った。
 可愛い彼女もでき、新しい仕事も見つかった。
 結果オーライ。部長、ザマーミロだ。

働きたくないんです。