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自由?ただの逃走じゃないの?

今日の読書会では、『フリーランス40歳の壁』を語りました。
表現者としての苦悩に共感しつつ、
自分の人生の道しるべともなるなあ、と感じた本。
全部は共感できず、もどかしさもあるけれど。
仲間と語らう中で制限と自由と表現について思いを馳せました。

フリーランスの苦悩、表現者としての苦悩


筆者のようなフリーランスへ、
憧れる気持ちは結構残っています。
自分の好きなことをやって、好きな時間・空間で仕事して、
自分のやりたいことをのびのびやって暮らす…

なんて甘いことは書いていなく。
なし崩し的にフリーになった筆者の葛藤が赤裸々につづられています。
表現者としては共感することばかり。
「一度売れたら、コピーを作ることを求められる。でも、自分のしたい表現とは違う。」なんてもどかしさ、苦しさはよくわかるよね。

求められることに答えていくのはある意味安泰だけれど、
自分の表現としては死んでいくような感覚になる。
自分のゾンビを生産し続ける苦しさよ。
イヤになって求められる仕事を断り続けた筆者は仕事がなくなり、
借金まみれの生活に苦しんで、さらに・・・
今は奇跡的に持ち直しているけれど、いつ仕事が途切れるとわからない、
フリーランスとしての苦悩にも身につまされることがありました。

僕自身も、「こんな内容で……」と記事を求められることがあります。
もちろん全力でお答えしようとするんだけど、
常に「自分がしたい表現はこれなのか?」という問いと向き合うんですよね。エネルギーを使うけれど、だからこそ生まれる表現もある。

自由は人を幸せにするのか?

そして、話題は自由と表現へ。
「今の子ども達は、好きな事ばかり追求して、自由を謳歌しているようだけれど、なんか苦しんでいるよね。」ということもよくわかります。
一人ひとりが尊重され過ぎた結果、個別最適化され過ぎた結果、
細く、狭い世界の中でしか生きられないんじゃないか。

逆に僕らのような昭和を経験した世代は、
「全員が同じように」「個よりも全体」の風潮を浴びています。
ある意味では、揃えてさえいれば楽な世界。
揃えることで抑圧された思いや感情が、
表現のエネルギーに繋がっているのかもと思う。

そんな時にふと、最近おススメされた「劇場」が思い出されました。
「俺には才能がある」と信じ、バイトもろくにせず、彼女のパラサイトとなった主人公。劇の脚本を書くわけでもなく、他人の才能に嫉妬し、「向き合う」と言いながら、何も生み出さずプラプラしている。

彼は自由を手にしているけれど、自由の中では何も生み出されなかった。
完全に、現実から目を背けていた逃走だったんだよね。
雇われて労働している身としては、雇用という制限に押し込められるけど、
制限があることで様々なメリットを受け取っている。
そして制限があるからこそ、自由を表現できるんだろうな。

もちろん、自由を得る事で自分の人生を切り拓いている人も大勢いる。
だけど、自由が本当に人を幸せにするのか。
制限がある中で、向き合うものがあるからこそ、表現する喜び、生きていく喜びを感じられることも多いんだろうな。

自分の表現を追究し続けますよ。


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