鏡の中の歌

1 避難

「《ヨウカイ》が来るぞ!」

 インカムのヘッドホンからランタオの叫ぶ声が聞こえた。

 掘削中の縦穴の中にいたサンフーは、今壁面につきたてたばかりのセラミック製のシャベルから手を放すと、急いで縄梯子を登って、すこし離れたところにある基地車へと向かった。

 古い時代のトレーラーを改造したベースカーの、コンテナ側面の梯子をかけ登り、アンテナ台の上によじのぼる。

 くん、と鼻を鳴らした。やばい。風が湿ってきている。

 サンフーは接近してきつつある、《ヨウカイ》の姿をみとめようと、荒野を見わたした。

「父ちゃん、《ヨウカイ》って、どっちだよ!」

「四時方向!」

 ランタオの怒鳴るような声が聞こえる。

「速度レベル《超》級、速いぞ!」

「見えないよ」

「いいから、早く入ってこい!」

「あ、道具忘れてるよ!」

「道具なんて、いい。緊急事態だ。早く入れ!」

 父の言葉を振り切って、サンフーはコンテナの梯子を駆け下り、穴の入り口へと引き返した。少年は縦穴を飛び降り、穴の底で小型の工事機械を左手でいくつか抱えると、縄梯子を片手だけでのぼりきり、再び車へと走っていった。

 ランタオは息子が来るのを基地車の天窓から身を乗り出して待っていた。

「早く」

 サンフーは小猿のように車の天井に躍り上がると、天窓のハッチへと飛びこんだ。車内には危機の接近を告げるアラームがうるさいほど鳴り響いている。

「早く、《シャワー》を浴びろ。物の洗浄も忘れるな」

「うん」

 一足先に簡易《シャワー》を浴びた父親はコンソールに向かい、天井のハッチを閉め、さらに外部予備ハッチを使って天井面全体を封印した。たとえ微量であっても、《ヨウカイ》の毒素を車の中に入れてしまうと、貴重な装置を壊してしまう可能性があった。なにより、人体にも非常に有害である。

 ライトやインカムのついた大人用のヘルメットを脱ぎ、手袋を外し、靴をぬぐ。あとは一気に裸になり、それらの脱衣をすべて抱えて《シャワー》ルームに走ってゆく。

「うがいと歯みがきも忘れるなよ」

「ハーイ」

 《シャワー》ルームから、サンフーの元気な返事が聞こえてきた。

 ランタオは左手であごひげを撫でながら、モニターを見ながらひとりごちた。

「今回のはとくにでかいな。《ヨウカイ》とはよく言ったもんだ」

「いい湯だった」

 しばらくして、サンフーは裸の上半身をタオルで拭いながら、コンソール・ルームに入ってきた。

「見ろ、サンフー、こいつは、すごい奴だぞ」

 むつかしい顔をしたまま言った。ランタオは、簡易《シャワー》を浴びたことをしめす赤い目をしていた。彼はあまり外に出ていないこともあり、瞬間的な《シャワー》で済ませてよかったが、サンフーは長時間全身を外気にさらしていたから、当然、液化サクシウムスペシウム混合液のシャワーを浴びなければならなかった。

「すごいって、父ちゃん、どんなヨウカイなの?」

「詳しいわからんが、かなりでかい奴らしい」

「ノードはどれぐらい?」

「一二八級」

「ほんとだ。すごく濃ゆいね」

 サンフーは濃度計が《一三一》をさしているのをみとめて言った。

「アールは?」

「四八二Mから五〇二M」

「直径だったら一KMだね。デカいなあ。今どこ?」

「四時方向、一〇KM弱。秒速五Mで十時方向に進行中」

 ランタオは計器上に指を這わせながら、息子に説明した。

「じゃあ、直撃はしないよね」

「ああ。これはこの夏の『溶解雨』の中でも大きい方だな」

 いままで、計器類に見入っていたランタオはここでやっと息子の顔に向き直った。

「そしておそらく、この夏の最後の《ヨウカイ》だろう」

「最後じゃなきゃヤだよ。夏休みがもうあと十日ぐらいしか残ってないのに」

「宿題がはかどっていいじゃないか」

「宿題なんか前の《ヨウカイ》で終わっちゃったよ」

「じゃあ、本でもよんどけ」

「もう、いい本がないよ。また新しいの買ってよ」

「早く服を着ろ。風邪引くぞ」

「うん」

 乱暴に頭を拭きながら、コンソール・ルームを出て行こうとしたサンフーを呼び止めた。

「あ、サンフー、お茶持ってきてくれ」

「お茶じゃなくてコーヒーでしょ」

「どっちでもいい」

「あいよ」

 サンフーはいい加減な返事をして、頭を拭きながらキッチンの方に歩いていった。


2 溶解雨 

 溶解雨が、降り始めた。

 辺境での発掘作業をするランタオらにとって、毎年夏の終わりになると訪れる溶解雨―――彼ら流に言えば《ヨウカイ》―――は、憎むべき現象であるとともに、どこか親しみを覚えるものでもあった。《ヨウカイ》のシーズンを越えると、次第に朝夕の気温が下がりはじめ、やがて辺境の荒野に厳しい冬がやってくる。

 サンフーにとっては父と一緒にすごせる長い夏休みの終わりを告げる、学校の先生からの使いのようなものでもあった。夏休みが終わると、サンフーは遠くの町にいる母や、ほかの兄弟たちのもとに帰らなければならなくなる。

 町にはオオカミもいないし、溶解雨も降らないから、安全な生活ができたけれど、退屈で死にそうになる。サンフーは、荒野の父の仕事を手伝いながら過ごす、夏休みが好きだった。そこは危険がいっぱいだけれど、大きな工事用機械を使ったり、ステップバイクに乗って走り回ったり、たき火をしたり、ライフルを撃ったりできるので好きだった。

 サンフーが新しいシャツとズボンを着たあと、キッチンでコーヒーを「買った」。

 これは、昔の飲み物の『自動販売機』というやつで、機械の中に缶入りの飲み物がつまっており、『コイン』を入れてボタンを押すと缶が出てくるのだ。かつては街角の至るところに突っ立って、客を待ち続けたらしい。一年前の発掘のときに、大きな倉庫の残骸を掘り当てて、そのとき見つけたものだった。何台かあった中の一台で、ランタオが修理するとうまいぐあいに動いたので、そのままキッチンに置いて使っているのだ。

 ランタオはそういう、昔の物を懐かしみ、面白がるたちだった。この基地者であるトレーラーも大昔のコンボイというのを改造したものだし、そのコンテナ内にしつらえたキッチンや居間にも古い時代の機械やなんかがあふれていたりする。その中にはこの自動販売機のように実際に動くものもあるし、動かないけれど置物として使っているようなものもある。そういう、懐古趣味が、彼をこういう、辺境の荒野へと赴かせ、昔の遺跡発掘者という仕事を選ばせたのだった。

 昔の自動販売機の前に大きなバケツが置いてあり、その中に『コイン』が山ほど入っている。金色のもの、銀色のもの、赤銅色とさまざまな色の、さまざまな大きさのコインが入っている。この小さな金属片は、昔の貨幣だった。もちろん、今では何の価値もないただの小さな円盤にすぎない。発掘の時に山ほど見つかるのだが、普通は屑鉄屋に売ってしまうのをランタオが集めているのだった。

 サンフーは二枚の銀色のコインをつまみ上げ、スリットに差し込んだ。たくさんのボタンについているランプがつく。見本にはいろいろな色と意匠の缶が並んでいるのだったが、中に入っているのは一種類だったから、じつはどれを押しても同じ、こげ茶色のコーヒーの缶が転がり出てくるのだった。

 サンフーは、この缶というものが不思議だった。遺跡から大量に見つかるのだけれど、中のコーヒーは何十年経っても全然味が変わらないのだ。それは、肉や野菜、果物などが入った缶詰でも同じだった。今の人たちは、古い時代に大量に作り置きされた缶詰を食べて生きている。生の野菜や肉なんかは溶解雨による土壌汚染のためにドーム都市や屋内農場などの限られた場所でしか生産できないから、恐ろしく高くて貴重なのだ。父のランタオは、地面の中に埋まっている缶詰の数にも限界があると言う。その限られた埋蔵物が尽きたとき、みんなはどうやって生きていくのだろうか。

 缶には古い時代の文字で何か刻んである。父に読んでもらったことがある。確か、『フォル・チルドレン・オフ・ファル・フーチュアル・ウォルド』。意味はわからないのだが、響きはステキだと父はいった。サンフーもそのとおりだと思う。

 

 

 サンフーが缶コーヒーを両手に弄びながら、再びコンソール・ルームに帰ってきたとき、急に強烈な雨が降りだした。

 溶解雨だ。

「とうとう来たね」

「ああ」

「何時間ぐらい降り続くんだろう」

「二、三時間で済めばいい方だな」

 ランタオは息子からコーヒーの缶を受け取った。

「外におきっぱなしの道具は?」

「なかったよ。ハンドドリルとリベッターは忘れそうになったけど、ちゃんと思い出して持ってかえって来たからね」

「何か忘れているような気がするんだがな」

「何かあったかな」

「フラッターハンマーだ!」

「あ、ほんとだ! フラッターを穴の入り口に引っかけたままだ!」

「まあいい。もう溶け始めたころだ。いまさらどうしょうもない」

「あー、しくじったな」

 サンフーは自分のコーヒー缶で、悔しそうにポカポカと自分の頭を叩いた。

 ランタオはコーヒーをすすった。沈黙がしばらく続いた。

「また買えばいいだけのことだ」

 ランタオは缶を置いて、かたわらに置いてあった、読みかけの本を手に取り、しばらく読み続けていた。大昔のコンピュータのマニュアル本だった。

 窓の外には溶解雨の降り注ぐ遺跡が見える。入り口のフラッターハンマーは見えない。

「あの遺跡にはなにが埋まってるの?」

「わからん。倉庫であることは確かだが―――『うたの鏡』が出てきたらいいんだが」

「そうだね。『うたの鏡』があれば街でいろんなものが買えるね」

「今の世界には、『うた』が不足しているからな。どんな『うた』でも高く売れるんだ」

 ランタオは古い文字が読めるから、その鏡にどんな歌が入っているかがわかる。

 サンフーも一枚だけ、『うたの鏡』を持っていた。薄くて軽い円盤で、真ん中に穴が開いている。表は磨き上げられた鏡のようになっていて、裏面には細かな昔の字で何かが書いてあるのだ。去年の始めの頃、旅から帰った父親が、サンフーにプレゼントしてくれたもので、それは『うたの鏡』としては致命的な傷がたくさんついており、「うた」が再現できないので売り物にならないのだと、ランタオは言った。

 はじめてそれをもらったとき、サンフーは、この中に昔の人が「うた」を吹き込んだのだということを父から聞いて驚いた。家には「うた」を再現する装置がなかったから、どんな歌がはいっているかはわからない。そういう装置というのは、とても高いから、町の再生屋に行って、金を払って使わせてもらうのが普通だった。それを「うた」屋さんという。ランタオの最近の仕事は、その「うた」の入った鏡を大昔の遺跡の中から掘り出して、「うた」屋さんに売ることなのだった。サンフーは、父や母につれられて、町の「うた」屋さんに行ったことがある。そこは、入るとすごく大きな音で、「うた」を聞かせてくれる。今はもう失われてしまった、いろんな楽器をつかった、いろんな「うた」。うるさいのから、心に染み渡るようなのから、上手いのから音痴なの、早いの遅いの、やさしいの、おっかないの。意味のまったくわからないのもあるし、今の言葉とおなじのもある。文字どおり人が唄っているのもあるし、楽器だけの「うた」もある。

 こんなにたくさんの「うた」が、昔の世界にはあふれていたのだろうか。みんな、こんなに歌いたいことがあったのか。うたを忘れたこの世界に生まれたサンフーには、よくわからなかった。

 「うた」は聞くだけだけれど、昔の世界には、目で見ることができる、「えいが」というものがあった。「えいが」を再生する機械はあまり残っていないので、「えいが」屋ぐらいしか持っていない。サンフーは学校で「えいが」を見たことがあるが、それは、各地を巡回してまわる、「えいが」屋が映してくれたもので、子供むけの「まんが」だった。サンフーは絵本やぬりえのような絵の動物がドタバタしているだけの「まんが」より、実際の人間が演じる「えいが」のほうが上等な気がする。もうすこし大きくなったら「えいが」屋に行って、「まんが」でない、「えいが」見てやろう、とサンフーはずっと思っていた。


3 フラッターハンマー

 

 溶解雨(メルトレイン)は結局、夜半まで降り続いた。

 サンフーは雨音を聞きながら、夜遅くまで作業をしていた。別に急ぎの作業ではなかったが、好きな仕事ではあった。簡単な作業で、発掘した「鏡」を、色や大きさによって仕分けするのだ。銀色の小さな鏡、大きな鏡、ケース入りのやつ、金色の小さな鏡、大きな鏡といったふうに分けてゆく。ひどい傷がついている場合は、ランタオはそれを飾り物に加工して、それも売る。母や兄弟の住む町の彼らの家の中にはとくに選りすぐったきれいな鏡が何枚も飾ってあった。鏡の裏面にはいろんな文字や絵が描かれていて、それを見るのは結構楽しいことだった。ランタオは別室にこもって、作業をやっている。その部屋には高価な器材がたくさんあるため、サンフーは入れてもらえなかった。だから、その部屋が何をするための部屋なのかはサンフーはまったく知らなかった。

 ランタオは、もうすこしサンフーが大きくなったら、入れてやろうという。しかし、それまでに昔の言葉を学んで、読めるようにならねばならないともいう。

 翌朝はすこし肌寒いぐらいだったが、雲一つなく晴れ渡った気持ちいい朝だった。一晩中吹き荒れた強い風が溶解雨の雲を消し去り、からっと湿度の低い空気の中には残存毒素はほとんど見られなかった。

 穴の入り口に立てかけてあったフラッターハンマーはやはり、ドロドロに溶けた鉄屑と化していた。

「うわぁ、やっぱりダメだったね」

「ああ。最悪だな」

 サンフーは恐ろしくなって、父の髭面を見ることができなかった。フラッターハンマーがどれほど高価なものかは知らないが、自分の不注意だと思った。今の作業にはこの壁面を平らにする道具は絶対に必要なものには違いなかった。

「穴の中はどうだろう」

 ランタオは、縄梯子につかまって、穴の中に降りていった。手には毒素計がある。

「大したことはないが、少々水が溜まったな。ポンピングして、サク・スペ洗浄したほうがいい。どっちにしてもしばらく様子を見た方がいいだろうな」

「今日は?」

「今日は仕事にならないな」

 やった! と、サンフーは内心、躍り上がった。仕事が休みになれば、一日中、遊んでいられるからだ。だが、その期待は、次のランタオの一言で崩れ去った。

「ちょっと、仕事を頼みたいんだが」

 ランタオはそんなサンフーの期待を知らずにか、にべもなく言い放った。

「仕事?」

 サンフーの顔色が曇った。だが、その落胆は一瞬しか続かなかった。

「ちょっと、一人で町まで行って、フラッターハンマーを買いに行ってきてくれないか」

 やった! 町に行ける! ステップバイクに乗れるのだ。再び、サンフーの顔は期待に紅潮する。ステップバイクとは、草原を走行するためのケイバー浮上式バイクである。サンフーは今年、はじめて乗り方を教えてもらい、やっと意のままに動かせるようになったばかりだった。

「うん! じゃあ、バイクを取ってくるよ」

 サンフーは快活に頷いて、格納庫に向かって走り出した。


4 ゴン・ウィザザ・ウィン

 サンフーは大きな外套に身を包み、防毒マスクをして、全身をくまなく覆った。雨上がりは特に注意しなければならない。水たまりにはまだ、溶解雨が溜まっているし、地形によっては空気中にだって残留毒素が残っているところもある。完全武装しないと、《ヨウカイ》の毒素にやられてしまうのだ。

 一番近い町まで、ステップバイクで三十分ほどでつく。透明な円形ドームにつつまれた草原の町は、サンフーが母や兄弟と住んでいる町と比べたら、比較にならないほど小さく、建物も、人も少なかったが、それでも、荒野に親子二人で住んでいると、他の人にも会いたくなることもある。

 サンフーはステップバイクで草原を走り、町のドームにたどりついた。ドームの入り口で、バイクを置き、気体の《シャワー》を浴びる。

 晴天の時は、ドームの屋根は開かれているので、町の中は明るいのだが、昨日のように《溶解雨》が近づいてくると、ドームの屋根を締め切る。このドームはもともと、なにかの競技場だったらしくて、照明設備などもあるが、電力の供給がないため、照明はつかわれておらず、ドームの開け閉めは、太陽発電を用いているのだという。

 市場でフラッターハンマーを買い、リュックにつめてもらうと、もう、用事は済ませたので、あとは帰るだけであるが、サンフーは町に来たときの楽しみとして、いろいろな店を見て回るのを常としていた。

 店といっても、そんなに充実した店があるわけではなく、「市場」と行ったほうがわかりやすい。テントのような店もあれば、地面に商品を並べただけのような店もある。

 ふと、サンフーは一つのテントの前に立ち止まった。

 「えいが」屋だった。看板にはむずかしい文字がたくさんかいてあったが、「えいが」という文字は読むことができた。この中で、「えいが」をやっているのだ。

 燃え立つ炎のようなオレンジ色の看板に、ひげを生やした男と、目をとじた女の人を抱いている絵が書いてある。下の方には馬という動物(サンフーは本でしか見たことがない!)と、白いお屋敷が描いていてある。男女の顔だちや、服装からみて、外国の話らしい。どういう意味かはわからないが、下の方に《ゼッサンジョウエイチュウ》と書いてある。テントの入り口に、老人がすわって、居眠りしている。この人にお金を払うのだろうか。中から、男と女の声が聞こえてくる。笑い声。見てみたい。本物の、「えいが」だ。

「お爺さん」

 サンフーは老人に話しかけた。

 お爺さんは起きない。

 そのとき、サンフーの頭の中に、ある考えが浮かんだ。

 お爺さんの寝ているすきに、入ってしまえば、「えいが」を見られる。

 それが悪いということはわかっている。だが、こんなチャンスなんかもうないかもしれない。サンフーは、老人の横をすりぬけて、テントの入り口に首をつっこんだ。

 中は真っ暗で、人でいっぱいだった。サンフーは「えいが」が写っている画面をみた。画面の中で、夕日が燃えていた。


5 鏡の中の歌

 「えいが」屋を出たときにはもう、空は星だらけだった。「えいが」が、これほど面白いものだということは知らなかったし、こんなに長いものだとも知らなかった。

「やばい。父ちゃんに怒られる!」

 サンフーはこんな夜道にひとりで帰るのははじめてだった。サンフーは村の出口にむかって走ろうとした。

「あ、父ちゃん」

 そこには、ランタオの姿があった。サーベルを下げた保安官と一緒だった。保安官が手に持ったライトでサンフーの顔を照らした。

 やばい! 一瞬、「えいが」にお金を払わずに入ったことがバレたのだろうか。どうしよう。サンフーの背筋をつめたい汗が流れるのを感じた。心臓がドキドキ高鳴った。

「こんな遅くまでなにしてたんだ」

 ランタオが、険しい声で言った。

「ごめん、父ちゃん」

「なにをしていたんだ」

「『えいが』を見てたんだ。『ゴン、ウィザザ、ウィン』っていう」

「ゴン、ウィザザ、ウィン」

 なぜか、保安官が繰り返した。

「そうか―――『えいが』か」

 ランタオはそういうと、口をつぐんでしまった。

「ちょっと、ランタオさん」

 保安官が、むこうのほうで、ランタオが保安官になにか言われているようだ。

 『えいが』にただで入ったことには、何も言われなかった。

「帰るぞ、サンフー」

 ランタオは、ステップバギーのトランクをを開け、その中にサンフーのステップバイクをしまい込みながら言った。

「怒らないの?」

「あとでみっちり怒ってやる」

「うん」

 サンフーはちょっと安心して、助手席に乗り込んだ。ランタオが、ステップバギーのイグニッションをまわしすと、徐々にケイバー合金の車体が浮かびはじめる。。扉をロックするのと同時に、ステップバギーは草原へと走り出す。

「ごめん。つい『えいが』に夢中になってしまって。本当の『えいが』があんなに長いとは知らなかったんだ」

 サンフーは横目で遠くなる街の光を見ながら、言った。

「あの『えいが』は特別さ」

「見たことあるの?」

「ああ。昔だけどな。最後に子供が死ぬだろう。あれは可哀想だよな」

「そうだね。あれはひどいね」

「あそこはちょっとやりすぎだ。なにも殺すことはない」

「殺したんじゃないよ。ウマから落ちたんだよ」

「んん? ああ。そうだったかな。でも殺したようなもんだ」

 闇の中に沈黙が流れる。サンフーはその静けさに耐えきれなくなって、一番気になっていることをたずねた。

「どうして怒らないの?」

「ちゃんと、フラッターハンマーは買ったんだろうな」

「うん」

 サンフーは抱えたリュックから折り畳み式のそれを見せた。

「ならいい。俺も一本、新しいの買っちゃったよ。おまえ、またどこかで無駄遣いしちまったんじゃないかと思ってな」

「『えいが』は、タダだったんだ」

 サンフーはウソをついた。

「馬鹿だな、サンフー」

「え?」

 サンフーはウソをついたことを見透かされたのかと思って、ドキッとした。

「そんなに『えいが』が見たかったのか」

「うん」

 サンフーは素直にうなづく。

「そんなにみたいのなら、いくらだって見せてやるのに」

「え?」

「馬鹿だな。知らなかったのか? 俺たちがなにを掘り出しているのか」

「なにをって、『うたの鏡』でしょ」

「まあ、そうだが―――あの『鏡』のなかには『えいが』がつまった『鏡』もたくさんまじっているんだぞ」

「え―――」

「おまえがいつも仕分けしている、あの金色のほうの鏡、あれはすべて『えいが』の入った鏡なんだ」

「本当?」

「知らなかったのか? 本当に知らなかったのか」

「全然」

「そうか。じゃあ、俺の作業部屋にある機械が、何の機械かも知らないのか?」

「うん」

「あれは、『えいが』の機械だ。あそこは『えいが』の鏡のチェックをするための部屋だ」

「ほんと? でも、父ちゃん、いつも鏡の中には『うた』がつまっているっていってたじゃないか。『えいが』が入っているなんて一言も言わないでさ」

「『うた』も、『えいが』も同じようなもんだ。どちらも今の時代ではもう作れない、『むかし』が詰まってる」

「むかし?」

「もうなくなってしまった大都会の姿や、人の世のささいな日常の営みや、もうどこにもいなくなってしまった獣たちの姿やなんかが、遙か昔の奴らの『思い』や『ひらめき』やなんかといっしょに、鏡の中にはギッシリとひしめいているんだ」

「ふうん。でも、どうして僕には一度も見せてくれなかったの」

「『えいが』の機械、あれは高価な機械だ。あのトレーラー一台よりもな。そんなのをおまえに見せられるか。あんなの見せたら壊すまでいじくりたいと思うだろ?」

 ランタオが言ったことに反論の余地はなかった。サンフーは自分でもそう思った。彼は機械と見ると、すぐにいじくり倒して、壊してしまうのだ。

「まあ、たまになら見せてやる。壊さないって約束してくれるのならな。ただ、絶対に一人であの部屋にはいるんじゃない」

「どうして? なんで一人じゃ入っちゃいけないのさ」

 ランタオはあごひげをさすっていた左手を変速ギアへ乗せた。

「そりゃ、まあ、『えいが』の中には、子供が見ちゃいけない『えいが』もたくさんあるからな」

 ステップバギーがうなりを上げ、真っ暗な草原をすべってゆく。サンフーは天窓を見上げながら、うるさいほどの数の星を眺めていたが、やがて静かな寝息をたて始めた。

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