弟が死んだ日-木曜日-
気がついたら、朝だった。
いつ寝たのかも定かではない頭で、ボーッとしてカーテンから差し込んでくる光を見ていた。
母に声を掛け、"弟探し"を今日も始めた。
昨日のように付箋にメモを書いて家を出た。
『○○、おかえり。
ご飯はあるものを食べてね。
お母さんと、バイト先と⬜︎⬜︎大学に行ってくるよ。
バイトも学校もサボるんじゃないぞ〜』
悲しい気持ちを吹き飛ばすように、そう書いた。
まずは弟が働いていたバイト先に向かった。
弟はガソリンスタンドで働いていた。
引っ込み思案で、人見知りで、中々バイトが決まらなかった弟が、やっと受かったバイト先。
よっぽど楽しかったのか、居心地が良かったのか、弟にしては珍しく、バイトが終わっても、雑談をして帰ってくるなどしていて、よく帰りが遅くなっていた。
社員さんらしい人に声を掛けた。
その人は、弟がよく雑談をしていた社員さんのようで、弟のことを酷く心配してくれていた。
仕事も真面目で、頼りにしていたこと
急な出勤でも快く引き受けてくれていたこと
バイト終わりによくお喋りをしていたこと
弟の家では見せない姿を教えてくれた。
社員さんには、弟らしき遺体が見つかったことは伝えず、まだ行方不明である事を伝え、バイト先にも迷惑がかかるため、制服の返却と今日で退職という扱いをとらせて頂けるようにお願いした。
社員さんは「見つかるまで籍は置いたままでもいいですよ」と言ってくれたが、その申し出は断った。
「早く見つかるといいですね」
そうですね、と作り笑いを浮かべ、次の目的地に向かった。
大学までは車で40分ほど。弟はいとこから譲ってもらったバイクに乗って通学していた。
私も何度か訪れたことがあるか、なんだか初めて行った時のように、別の場所に見えた。
母と大学の案内板を見ながら事務室まで行く。
そこで、弟が行方不明である事を伝え、学校での様子、出席状況などの確認をした。弟が所属しているゼミの教授が、現在授業を行なっているとのことで、30分ほどその場に待たされた。
その後、別の応接室のような所に案内された。
そこで、少し若めの男性が1名と中年らしい男性が2名入ってきた。弟の所属している学科の実習担当の先生、ゼミの教授、学科長らしい。
そこで衝撃の事実を知る。
弟は6月から学校を無断欠席していた。
コロナ禍の影響で4月ごろはリモート授業が行われており、弟はずっと家にいた。
その為、母は、日中も弟が家にいる事に疑問を持たなかったようであるが、とっくにリモート授業から対面式の普通の授業に切り替わっていた。
教授によれば対面授業は5月中旬頃から開始した、とのこと。
教授は、弟が履修登録をしている科目の出欠状況が印刷されたプリントを見せ、「自分は欠席日数がギリギリな子に連絡をとって話を聞いたり、様子確認や学校にくるよう声を掛けたりしてるんです。〇〇くんが、学校に来ていないので心配し、〇〇くんの仲の良い友人に自分の研究室に来てもらうよう、頼んだんですよ」と告げた。
確かに弟のLINEには、同じ大学の友人らしい人物3名ほどから、連絡が来ていた。
教授から提示された紙を見ると、どうやら弟は6/1の授業を無断欠席して以来、一度も学校に行っていなかった。
もちろん、友達からの連絡も未読無視。
教授によれば、弟の無断欠席が始まった日の授業の中に、実習関係の科目があり、この授業は欠席や遅刻が厳禁とされている、との事である。
おそらくであるが、弟は寝坊してしまい、授業に間に合わなかったのであろうと思う。
そして、引っ込み思案な弟は、教授にも、友達にも、家族にも、誰にも相談できず、1人で追い込まれていったのであろう。
あの部屋で、授業を受けているフリをしながら、悩み、苦しみ、そして、葛藤し、動画を見あさり、ゲームをして、現実逃避をしていたんだろうと、思う。
今までは『死んでしまった』にしても、事故なんじゃないか、と思っていたが、ここでまた、『自殺したのでないか』という疑念が高まった。
大学の教授にも、弟が行方不明であることは伝えたが、弟らしき遺体が発見されていることは伝えていない。
教授たちは心配してなのか、興味本位なのか、弟が出て行った時の状況を詳しく聞いてきた。
母はお喋りな為、私に話したのと同じように話し始めた。弟の性格や家での様子などまで話し出したが、明らかに弟が自殺をしてしまった、と聞こえそうな内容であった。
私は、次第に、物凄い嫌悪感を抱いていた。
弟が”自殺してしまった”ように話す母についてもだが、それでそれで、と聞き出してくる大学教授に腹が立った。
大学の教授なんて、中学校や高校と違って、生徒と深く関わっているわけでもない、私の弟の事なんて何も知らないくせに、興味本位で聞いてきて何なんだ、どうせ聞いても何もしやしないくせに、無駄に心配したようにするなよ、そんな、どす黒い感情を抱いていた。
「お友達の家とかに行ってるかもしれないですね」
そう笑いながら言う教授を見て、私の中で、プツンと糸がきれた。
いつまでも止まらない母のお喋りに、「もう時間だから帰ろう」と制止して荷物をまとめる。
私は愛想がいい方ではあるが、この時ばかりは笑顔が保てなかった。
このオヤジは何を笑ってるんだ、と怒りさえ覚えた。
私だって、頭の中で何度も何度も、縋るように考えた。
『友達の家に遊びに行っているのかも』
でも、弟と20年も過ごした私からすれば、弟の性格を知っているならば、連絡もなしに3日間以上も友達の家に遊びに行くなんて『絶対にありえない』と諦めていたことだった。
そんなありえない可能性の話を、しかも笑いながら、弟の事なんか何一つわかっていない、上辺だけの心配をする教授たちを、私は冷めた目で見ていたと思う。
もうこれ以上、この教授たちの、半笑いのような、白々しく心配をしている、というような表情を見たくなかった。口も聞きたくないほどに、教授達の表情や態度に、無性に腹を立てていた。
今思えば、遺体があるなんて知らない教授からすれば、無断欠席をする学生なんてよくいるだろし、家に帰っていない、なんて大学生にはありがちなことである。
教授たちも、ある程度私たちの話を聞いて、事態があまり良い状況ではないと感じていたようであるが、せいぜい家出でだろうと安易に考えていたと思う。
まさか、『死んでいる』なんて思わなかっただろう。
私は、どこにも向けようのない怒りを、この教授たちにぶつけていたのかもしれない。
私がそそくさと片付けを始めると、教授たちも「何かあれば連絡をください」と言って席を立った。
建物を出るまでに、弟と一緒の学科の生徒が授業を受けている教室の近くを通った為、「あれが〇〇くんと仲のいい生徒ですよ」と教授が話を振ってきたが、もうそんなことなど、どうでもよかった。
一刻も早くその場を立ち去りたくて、適当に相槌をして教授と別れ、大学を後にした。
次に、私達は、昨日警察署で聞いた、弟のバイクがあった場所まで移動した。
ちょうど昼食時であったため、行きがけに、弟が大好きなマクドナルドにより、弟のためにビックマックセットを購入した。
この時には、もう母と諦めていた。
弟はいない、この世のどこにも。
それならば、弟の大好きな食べ物を買って、
弟が最後に見た景色を一緒に見に行こう。
その場所に着いた。
とても景色のいいところだった。
切り立った崖の上、目の前に海が広がり、とても晴れた青空の下、気持ちのいい風が吹いていた。
海辺のドライブに、ちょうど良い休憩場所。
でも、そこはなんだか、胸が締め付けられるように寂しくも感じた。
母と2人、その場所に立つ。
私の腰の下ほどしかない、小さな木の柵が、頼りなさげにそこにあった。
その先へと、誰かが誤って踏み出さないように設置してあるようだが、大人であれば簡単に乗り越えることができた。
柵の奥は、なだらかな下り坂になっているが、草や木が生い茂って、どこまでが地面なのかがわからない。
ねずみ返しのようになっているため、崖下は見えない。
しかし、そのまま奥へと進めば、知らぬ間に足を踏み外して、崖下に真っ逆さまになるであろう。
小さな柵と柵の切れ目、不自然に草がなぎ倒されている箇所があった。
ちょうど、人、1人分が通れそうな幅であった。
1メートルほど続いたその道の先は、真っ青な海が広がっていた。
私は、柵を越え、ギリギリのところまで行き、底を見ようとした。
思ったより土が柔らかく、その先が崖であるとわかっていないと、ずるっと足を滑らせて、そのまま落ちてしまいそうだった。
私は、弟のまだ見つかっていない、靴や、帽子、眼鏡がないか、弟の痕跡を探した。
「危ないから、お願いだから、そっちに行かないで、」
縋るように母が言うため、探すのをやめた。
結局見つけることが出来なかった。
その場所に、弟のために買っていたビッグマックセットを置き、母と静かに手を合わせた。
『こんな寂しい海の中じゃなくて、一緒にお家に帰ろう』
街頭もないため、夜になるとこの辺は真っ暗闇になるであろう。弟の魂が、この場所にとどまらないように、暗く寂しい海の中で、1人で、取り残されてしまわないように、そう願った。
ちょうどその時、母の携帯が鳴った。
『男性の遺体と弟さんの指紋が一致しました』
警察からの電話だった。
弟が以前、違反切符を切られた時の指紋と一致したとのことで身元判明に至ったようである。
本来であれば、違反切符の指紋は、身元確定には使わないとの事であるが、今回は急を要するとの事で使われたようである。
電話が終わると、母と2人で少しだけ笑った。
違反切符なんていつ切られてたんだろうね、真面目な弟が意外だね、知らなかった。
2人でそう話しながら、次第に涙が出た。
あぁ、弟は、死んでしまったんだ。
もう会えないんだ。
5人じゃなくて、4人家族になってしまった。
涙を堪えながら家路についた。
家に着いても、弟は、いるはずもなく、あかりのついていない、弟の部屋に座る。
20時過ぎに父が、単身赴任先から帰ってきた。
弟の事について、改めて母から話を聞いた父は、思ったよりは普通であった。
普通に見えるように、振る舞っていたようだった。
弟の遺体の受け渡し、葬儀場の手配、親戚への連絡など、父と母は遅くまで話し合いをしていた。
姉は、明日の朝、到着するとの事である。
空港までは私が迎えに行く事になり、安全運転のために、と私は横になったが、全く寝付けなかった。
誰も知り合いをフォローしていないTwitterのアカウントを開き、誰にもぶつけられない思いの丈をぽつりぽつりと呟いた。
『せめてお別れの言葉が欲しかった。なんで先週帰らなかったんだろう』
『もっと話を聞いてあげればよかった、あの時こうしていればよかった、最後にあったのが2週間前。せっかく一緒にゲームしようと思ってたんだよ。』
『お姉ちゃん失格だ。ダメなお姉ちゃんでごめんね。』
そして、いつの間にか、そのまま眠りについていた。
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