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音楽系Vtuberの実写MVに感じる嫌悪感の正体

Vtuberと実写。

割と以前から取り沙汰されてきた問題だとは思うが、音楽系Vtuberにおいては他ジャンルのVtuberとはちょっと事情が違ってくることがある気がしたので、あえて記事に残そうと思う。

ちょうど1か月ほど前、「音楽を止めるな3」というイベントが開催されていた。
これはAZKiさん主催の配信イベントで、事前に募集したVtuberのオリジナルMVを3日間ぶっ通しでランダム再生し続けるというものだった。
Vtuberさんからすればまたとない宣伝だし、我々ファンからすればまだ見ぬ推しを発見する機会。私は知らなかったVtuberさんの動画を片っ端から再生リストに放り込みながら見ていた。

アイドル曲にラップにメタルにジャズに弾き語りにインスト……音楽ジャンルもバラバラなら映像もバラバラ。3Dの身体で踊るものもあれば一枚絵のリリックビデオのようなものもある。中には、最初から最後まで実写のMVもあった。

そんなふうに、実写のMVが流れたとき、とあるコメントが目に入った。

「俺はVtuberを見に来てるんだよ」

もう1か月も前なのでそのままの表現ではないが、そのような意味の言葉だったと思う。
瞬間的に私は顔を顰めたのだが、それと同時に思った。

この意見は案外バカにできないぞ、と。

あえて否定的なコメントを書き込むことの是非に関してはこの際置いておくとして、そのコメントと同じ気持ちが自分の中に全くないかと言えば嘘だと思った。

我々はVtuberの「音楽」を聴きにここに来ている。でも、やっぱり「Vtuber」の音楽を聴きに来ているのだ。

そもそもVtuberとは音楽ジャンルではない。だからこそこの配信には多種多様な音楽が集まっているのだし、それ自体は素晴らしいことだ。本来全く繋がりがなかった音楽が、「バーチャル」の名の元に集まる。

ならば、実写MVはその必然性を脅かすとは言えまいか。

この配信は音楽イベントでありながら、音楽の特徴によって集まったのではなく、バーチャルという表現形態によって集まっている。そして映像はバーチャルかリアルかを区別するのに最も顕著な要素だろう。

このとき我々が突き付けられるのは、「どうしてVtuberに限って音楽を聴くのか」という問いだ。

Vtuberだから好きで、追っていると思っていた。でも、実写MVのそれも「良い」と認めてしまったとき、追うのはVtuberだけでは足りない。
インディーズやメジャーといった括りすらも飛び越えて(だってVtuberはほとんどインディーズだ)、自分が好きになるかもしれないものを探しに行かないといけなくなる。

でも、そんなことは不可能だ。この世には無数に音楽がある。全てを知ることなどできるはずがない。一生、自分の好きなものが何なのか問い続けることになる。二度と「知っている」と言うことはできなくなる。

だから我々は普通ジャンルで区切って「この範囲は知っている」と自信を持っている。自分の好きなものを、自分を知っていると思っている。その境界が揺るがされたのだ、これはアイデンティティの危機である。

つまりVtuberの実写MVを見たときの嫌悪感というのは、自己防衛のための反射的な反応であると言えよう。「これを認めてしまえば自分が何を好きなのか分からなくなってしまう」という恐怖、あるいは「自分が好きになるかもしれないものをすべて好きになることは不可能なのだ」という絶望から目をそらすための。

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