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「科学」に対しての盲信と、合戸孝二選手の話

トレーニングを日常的に行う人間で合戸孝二選手を知らない人はいないと思うが、ふつうの人は知らないと思うので簡単に紹介する。

狂気の男こと合戸孝二選手は日本屈指のボディビルダーとして名を知られ、60歳を超える現在においてもボディビル大会の第一線で活躍し続けており、生きる伝説とも呼べる人物である。なぜ狂気の男と呼ばれるかのエピソードはこのエントリでは語り尽くせないので各自調べてほしい。

私が合戸孝二選手を知ったのは確か高校時代で、トレーニングがとても好きな先輩が「トレーニングしすぎて失明してしまった狂気の男がいる!マジで身体やばい!ヤバい!デカイ!」みたいなテンションで語ってきたのが最初だろうか。確かに、とてもデカイ。すごい。当時から十年以上経っているけど今もデカイ。とても暇な人はYouTubeでデカさを確認すると良いと思う。

私が高校生の時といえばもはやうん十年も前の話であって、当時もインターネットはあったものの、合戸孝二選手の情報を得るのはアイアンマンなどの雑誌が中心であって、彼が具体的にどのような形でトレーニングをしているのかは、なかなか知ることが出来なかった。

しかし近年のYouTubeブームもあって、合戸孝二選手のトレーニングをYou Tubeでマジマジと見ることが出来るようになった。これはとてもありがたい話だ。Web2.0も捨てたものではない。

だけれども、正直いって動画で見る彼のトレーニングはまったくもって参考にならない。私が知っているトレーニングの知識とはまるで違う理論でトレーニングを行い、その上で圧倒的な結果を出しているため、頭が混乱する。

減量中にクロワッサンを毎日食べるなんて、クロワッサンは重量が軽いからカロリーが無いという謎な理論なんて、合戸孝二選手以外が言ったならば笑い話にもならない下らない話なのだが、合戸孝二選手が言うのだから説得力が違う。多分、彼が食べているクロワッサンのカロリーは本当にゼロだ。コカコーラゼロは本来的に0キロカロリーではないが、それでもクロワッサンは0キロカロリーだ。

とまあ、合戸孝二選手についての話は尽きないのだが、科学というものに対して感じているちょっとした違和感、というよりも「科学への盲信」に対して感じているお気持ちをここからは書いていく。

科学は本当に正しいんだっけ

大前提として、科学を否定するつもりは一切ないということはお伝えした上で、科学の限界については(科学者の方は当然理解している話ではあるが)あまり理解されていないように思えている。

科学は当然ながら蓋然性の話であって、仮説検証の積み重ねでしか無い。ゆえに前提が変わってしまえば結果が変わるのは当然だし、科学的に正しいからといって常にその通りになるわけでは無い。これは前提を100%合致させることがとても難しいからだ。(逆にいえば、前提が100%同じであれば常に同じ結果が得られることは証明されている)

たとえば水は100度で沸騰するといわれているものの、気圧が変われば沸騰する温度は変わるし、不純物が混ざっているだけでも沸騰する温度は変わる。つまるところ、いま目の前にある水が本当に100度で沸騰するかどうかは、実際にその場で試してみるまでわからない。なのだけれども、私たちは科学を盲信しがちなので、水は100度で沸騰すると言ってしまう。

同様の話はダイエットの文脈では山のように存在してる。「XXを食べれば痩せるって書いていたのに痩せないじゃん!」みたいな話はこの典型例だ。

私たち一人ひとりの体の作り方は微妙に違うし、アレルギーもあればそもそも身体のサイズが違う。食べても太りにくい体質の人もいるし、消化が良すぎて少し食べるだけで太ってしまう体質の人もいる。だけれども、科学的な研究では個体差の細かい部分まで区別して捉えることは難しく、ゆえに、科学的に証明されていたとしても、自分に当てはめてみるまでわからない。

なので、XXを食べても痩せなかったとしたら、それは実験時の前提条件と自分の体が違ったからであって、その説が完全に嘘というわけではない。

合戸孝二選手と科学的トレーニング

合戸孝二選手のトレーングの話を聞いていると、私の常識からは驚かされることが多い。ベンチプレスを最大重量で20セット以上やったり(一般的には3〜5セット程度で良いといわれている)、怪我をしていても「痛くないやり方でやれば良い」といった考え方でトレーニングを続けていたそうだ。

食事についてもプロテインパウダーを山のように飲まれるし、トレーニング中の水分は殆ど取らないらしい。私たちの世代は「運動中は適切な水分補給を!」と教わったはずなのだが、どうやらそうではないらしい。

「なるほど。これは完全に間違ったトレーニングだ!」、、とは当然ならないわけだ。なぜなら、合戸孝二選手は圧倒的な結果を出しているからだ。

科学的な調査を行うと、多くの場合平均値や中央値が取得される。また、トップ選手に対して調査が出来る機会は限られており、いわば普通の人を基準として、その真ん中の数値を元に色々な研究が行われる。すると当然ながら、合戸孝二選手のような普通とは程遠い人にとっては、もはや何ら意味を持たない科学的に正しい研究結果が生まれてしまう。もちろんこれが悪いわけではなく、多くの人にとってはこの結果は正しいものとなる。ただ、万人に当てはまるわけではないというだけだ。

言われてみれば当然なのだが、私たちは何故か「科学的に正しい」と呼ばれているものを盲信し、それを信じて様々なことを行ってしまう。科学的に正しいことが自分にマッチするとは限らないのにだ。

合戸孝二選手が上述のようなトレーニングや食事にたどり着いたのは、彼の自分の体を使った研究の結果であって、トレーニング理論からすると異常に思える方法だとしても、彼にとっては圧倒的に良い方法なのだ。ちなみに、合戸孝二選手は自分のトレーニング効果を徹底的に向上させるため、自分の体や動きにマッチするトレーニング器具を自作している。すごい。

つまるところ、合戸孝二選手が行っている行為自体が科学だ。N1ではあるものの、自分の体で実験を繰り返し、さらにはその効果を高めるための器具を自作し、効果検証を自分の体で行い、それを何十年も続けている。これを科学といわずに、何を科学というのだろうか。

私たちは、誰もが科学者でありうる世界に生きている

私は面倒くさがりだ。誰かが実験してくれた結果を信じたいし、誰かが敷いてくれたレールに沿って歩くほうが楽だ。だから前例を調べるし、そして、私が行うレベルの多くの物事は、世の中の誰かがすでに行っている。そこにはベストプラクティスがあるし、そこに乗っている限り大きな失敗はない。とても楽だ。いい世の中だ。

だけれども、それが本当に自分にとっての最適解なのかはわからない。自分にとっての最適解は自分で探すしか無いし、そこでは実験を行うしかない。

私たちは誰もが科学者であるべき世界に生きていて、自分の体と頭を使って日々実験を行うことができる。自分の体と頭を使った実験は常に前例はなく、そこには楽しさが溢れている、はずだ。


P.S. 科学的に実験した結果、朝10時より前に活動することは不可能だという結果が出ているのですが、、、社会って難しいですね。


まいにちのご飯代として、よろしくお願いします。