観戦好きの運動音痴

スポーツが好きだ。

初めてハマったのはフィギュアスケート観戦だった。

私が見始めた頃はちょうど日本には浅田真央がいて、高橋大輔がいて、海外にもランビエールとかジュベールとかがいて、4回転が今ほど当たり前じゃなかった時代だった。楽曲も、歌詞なしのクラシックが主な時代だった。
母の影響で見始めて、その美しさに心踊ったのを覚えている。

ヒラヒラした衣装が好きだった。音楽の細かい音を拾うステップが好きだった。ジャンプの種類が見極められるようになってくると、見るのがさらに楽しくなった。

私の最も身近にあったのは、バレーボールだった。

母に連れられて、母の所属するママさんバレーボールチームの練習によく行っていた。
家でもよく試合のビデオが流れているものだから、自然とルールが分かるようになった。

これまた見始めた頃は日本の女子に竹下や木村がいた時代だった。男子に関しては全然注目されていなくてテレビ放送もほとんどなかったけれど、それでも福澤が好きだったし、春高も毎年欠かさずチェックしていた。

前述したママさんのチームには私の他にも子どもが来ていて、私以外はみんなバレーボールをしていた。
そのうちのひとりは春高にも出場して、私はそれが誇らしくて、高校で宣伝しまくったことを覚えている。


しかし、こんなに身近にスポーツがあったにも関わらず、私自身はびっくりするほど運動音痴だった。

体力測定のハンドボール投げでは、振りかぶったボールがそのまま後ろに落ちた。
バドミントンをすればシャトルを見失ってころび、サッカーではキーパーでもないのに飛んできたボールを手で弾いた。
スキーに行った際はそもそもリフトから降りられなくて止めてしまったし、跳び箱は跳べた瞬間に喜んで力を抜きそのまま頭から落ちた。

通知表でも、運動技能の欄だけはずっとCが続いた。そのくらい私の運動音痴っぷりは酷かった。

そんなこんなで、全く運動はできないけれどルールだけは妙に詳しい、口だけのスポーツ観戦ファンが出来上がった。

オリンピックを見ていても、自分は何も出来ないくせに、一丁前にわかったフリして、叫んで、泣いて、盛り上がっている。

好きなスポーツは?と聞かれたら、今でもフィギュアスケートとバレーボールの2強だけれど、結局全部すきだ。
柔道も、スケボーも、水泳も、バスケも、フェンシングも、卓球も、カーリングも。

日本人は体格に恵まれた人こそ少ないけれど、その分頭を使った素晴らしい戦略とプレーの数々を見せてくれる。
海外の選手だって素晴らしい。上背があるぶんパワーも迫力もあるのに、そこにあぐらをかかずスキルの高さを見せつけてくれる。

スポーツの何が一番好きかって、全員が楽しめることだ。
競争というものが私は本来あまり好きではないが、順位を抜きにしてもスポーツは面白い。それぞれに考えがあって、背負ってきたものがあって、培ってきた技術を私たちに見せてくれる。

誰もが見られる舞台も多く用意されている。オリンピックとか。

今回のパリ五輪開会式でウクライナの選手団が紹介された時、日本からテレビの中継で見ていたら、亡くなった選手の情報がアナウンスされた。
悲しく悔しいと同時に、オリンピックの意義も感じた。

酷く辛い時であっても必ず、4年に1回オリンピックは開催されるのだ。
それが生きる希望になった人も、それを見て希望をもてる人もいるかもしれない。

オリンピックはどんな時でも平和の祭典であるべきなのだ。それが真に平和に結びつくものでは無いとしても。

そんなことを考えながら存分に楽しんだパリ五輪だった。

完全にパリ仕様になってしまった体内時計を戻しつつ、余韻に浸りたいと思う。

感動をありがとう!

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