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きわダイアローグ11 齋藤彰英×向井知子 1/3

1. 消え方は、生成の仕方


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向井:最近、森田真生さん *1(独立研究者)と瀬戸昌宣さん *2(生態学者・農学博士・NPO SOMA代表理事)が立ち上げられた〈学びの場をつくる学校〉(ミシマ社主催)という学びの会にオンラインに参加させていただいているんですね。2022年5月の会では森田さんがレクチャーの中で「絶滅について考えることで、よりよく地球が生きていく時代」ということを話されていました。「地球の歴史上、80〜90%の生き物が絶滅することが、これまで5回起きており、今は6回目の大絶滅の時代と言われている。今から育っていく子どもたちは、人類が絶滅するということを普通に考えている」とおっしゃっていたんです。ダーウィン以前は種の概念もなかったので、私たちは人類の終焉を明確に意識している最初の世代なんじゃないかということですね。「滅びていくからこそ学び、教育では、自分の見た世界を伝えていく。それは生命の大事な願いかもしれない」ともおっしゃっていました。

齋藤:経済的にも文化的にも広がりきっているし、この先これ以上拡張していくことがいいのかどうかということについてはすごく考えますよね。どうのれんを下げながら、最も心地よいバランスを見つけられるかといったことを意識している人は多いと思います。

向井:わたしはこれまで、きわダイアローグの中で、生きていることについてを死の方向から考えたり、生としての死の延長上に、突然ある閾値を超えて地表に出てくる生命、生まれてくるかもしれない何か、地表には見えてこないがまだもぐっている部分の生といったことについて考えたりしてきているわけですが、今この瞬間にあるきわについてもよく考えます。森田さんはより俯瞰的に「絶滅」という明確な言葉を使いながら、具体的に思想史、生命史、脳科学などの文献も取り上げて話してくださいました。「絶滅から考えて、今このときにわたしたちは何を残すのか」とも話されていましたが、「人間が生命について絶滅から考え、個体を超えて受け継がれている深い意識、その永遠をしっかりと今刻むことが大切である」という考え方はとても共感できるものがありました。齋藤さんだったら、何を残しますか。

齋藤:この世に、ということですか? 何か残すと考えるタイミングは、人類がドンッと完全にいなくなるときにということですか。地球もドンッとなくなってしまっているとき? もしくは、生命として何かしらの形で変容しながら残っていくときでしょうか。どこの部分がなくなるかによって、思考の仕方がすごく変わると思います。残すものについてパッと答えることはできないのですが、消え方次第で変わるのではないかなと。

向井:確かにそうですね。消え方を考えるっていいなあ。そういう意味では、わたしが今まで取り組んでいることは、それ自体がなくなっても「何かが生まれるかもしれない瞬間」であって、未満のところから出る/出ないかもしれない部分を扱っていました。消え方っていうのは、その対になるような……。

齋藤:そうですね。消え方というのは、ある種、生成の仕方でもあると思うんです。相互関係にある、動的な要素というか。

向井:だからでしょうか、わたしは瞬間で消える場所づくりをしているつもりですが、それでも自分の活動も含め、近頃「造形系ってなんて無骨なんだろう」とか「残さなくてもいいものを残そうとしているのかしら」と思ってしまうこともあるんです。ヴィジュアルのことをやっていると、音やパフォーマンスの人たちに対して、かなわないと言ったら少し変かもしれませんが、ずるいなと思うことはありませんか。まず、その瞬間に身一つでパッと行えるのがすごい。

齋藤:すごく思います。音はダイレクトに体の中に入ってきますから、単純に景色を見たときよりも、その場に来た感じというか、その空間にいることを意識させられますよね。

向井:もともと何かを「つくる」という行為は、祈りに近いことだったのでしょうしね。

齋藤:祈り……。あとは遊びでしょうか。生殖活動や食事、睡眠といった三大欲求とは別に動いているところから派生している部分だという気がします。

向井:2021年夏の「東京礫層:Tokyo Gravel」という個展をされた際、写真作品と一緒に展示されている石の話をされていましたね。

「東京礫層」(2021年)
齋藤彰英
iwao gallery、東京

齋藤:はい。実はあれは、撮影の際に拾ってきた石を磨いています。遊びみたいに何かしているときが本当に楽しいんですよね。橋を渡って多摩川を見ると、海だった頃の堆積岩などが露頭していることに気づいて、川なのに海だなととても面白く感じたりするのもそうです。

向井:実際の多摩川まで来ると景色が違いますよね。

齋藤:そうなんです、それこそきわですよね。青梅から多摩川が一気に平地に流れているので、多摩川まで来ると風景が違って見えます。

向井:ここも東京なんだよなあと思ってしまいますね。仕事に行く際、生田緑地を上がっていくので多摩川の上のほうを渡ることがあるんです。同じ多摩川でもそこと青梅の橋を渡るときの風景は違いますよね。さらに丘陵で線を引かれているような。

齋藤:そうですね。この間東京礫層まで行ったのですが、あそこも多摩川が山間部から平地に流れたきわの部分。東京の風景も、狭山丘陵がきわとなって流れが変わった場所も見ることができて面白いんです。今後もできるだけ、そういう純粋な興味をもってやっていきたいとは思っています。だから、僕自身は、作品で何かを立ち上げようとしたり、生を確認したりしているといった感覚はないですね。

向井:でも、長時間露光をしてシャッターを切ったときに、呼吸をしている感じがするとは言っていましたよね。

齋藤:そうですね。あくまで自分にとっての確認行為という感じがします。「東京礫層:Tokyo Gravel」では、橋からカメラをせり出させて川底を撮った写真なんかも出していました。
夜にスローシャッターだったり、長時間露光気味に撮ったりすると、余分な波紋が消えて、川底がクリアに見えるんです。水を通すと、石の色もとてもよく出ます。それはすごくきれいだなといつも思っているので、継続して何かやりたいなとも思っていますね。

「東京礫層」(2021年)
齋藤彰英
iwao gallery、東京

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*1 森田真生(もりたまさお、1985年〜)
独立研究者。東京生まれ。京都を拠点に研究するかたわら、国内外で「数学の演奏会」「数学ブックトーク」などのライブ活動を行っている。著作に『数学する身体』(新潮社・第15回小林秀雄賞)、『計算する生命』(新潮社・第10回河合隼雄学芸賞)、近著に『偶然の散歩』(ミシマ社)など。

*2 瀬戸昌宣(せとまさのり、1980年〜)
生態学者、農学博士(農業昆虫学)。東京生まれ。NPO法人SOMA代表理事。米国コーネル大学で研究に従事した後、現在は福岡を拠点に「ひとが育つ環境をととのえる」をミッションに教育プログラムi.Dare(イデア)を実践、宮地嶽鎮守の杜再生事業などの自然環境の保全・再生活動も行う。

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齋藤彰英(さいとうあきひで)
水が作り出す景色をテーマに、写真を用いたインスタレーション作品を制作。主に、糸魚川静岡構造線やフォッサマグナなど、日本列島の形成過程を記憶する場所や、その土地に育まれた文化を対象にフィールドワークを行い制作活動を行なっている。近年は、首都圏の地下に広がる地層「東京礫層」に着目し、太古の水が作り出した扇状地としての東京と現代の東京との繋がりを作品制作の題材としている。

向井知子(むかいともこ)

きわプロジェクト・クリエイティブディレクター、映像空間演出
日々の暮らしの延長上に、思索の空間づくりを展開。国内外の歴史文化的拠点での映像空間演出、美術館等の映像展示デザイン、舞台の映像制作等に従事。公共空間の演出に、東京国立博物館、谷中「柏湯通り」、防府天満宮、一の坂川(山口)、聖ゲルトゥルトゥ教会(ドイツ)他。

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