反面教師│当たり前が嫌い
「それ、何?(笑)」
え、いま私、馬鹿にされてる……? と感じたが、冷静に、手に持つ小銭入れについて会社の先輩に説明してさしあげた。
「100均の名刺入れです。小銭入れとして使いやすいんですよね」
その名刺入れはアルミでできているもの。
ちょっとの小銭を入れておくのにちょうどいいし、スリムなので、スーツのジャケットに入れておくのに邪魔にならない。
私にとって、これ以上ないお気に入りの小銭入れだった。
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【当たり前】ってなんだろう。
母に「なんで、こうじゃないといけんのん?」と世の中の当たり前について根拠を問うと、
「なんで、そんなこともわからんのん?!」と怒号の説教が始まる。
なぜ?の答えは教えてもらったことがなく、ただただ悲しかった。
私は納得したかっただけなのに。
母に否定されてばかりで苦しい。
世の中の当たり前に対して、素直に従わない私はおかしいのだろうか。疑問を持ったり、根拠を知りたがったら駄目なのか。
わかってもらえない。悲しい。
気づけば、自分のことしか考えられない、卑屈でうつむきがちな学生時代を過ごしていた。
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30歳になった私には、3歳の娘がいる。
「これ、どこなん?」
「なんで、これなん?」が最愛の娘の口癖だ。
「どこにあると思う?」
「なんでだと思う?」と私は娘に投げかける。
娘なりに考えた答えを聞いて
「そうそう、よくわかったね」
「ああ、そうかもしれんね」と返す。
人様を傷つけるようなことでない以上、否定はしない。
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当たり前って、なんだろう。
それが、ちっぽけな悩みだと思える今、
私は生きやすくなったと感じている。
他人が思う当たり前は気にしなくていい。
私をわかってほしいと思うことは、まだまだあるけれど、夢を叶えるためにやるべきことと向き合っていると、どうでもいいと思える。
そんな私の姿に安心したのか、
いつの間にか母から否定されることはなくなった。
それでも、
当たり前に縛られて根拠も知らず、思考が止まってしまうのはやっぱり嫌いだ。