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佐藤友美さん講師『初心者のためのエッセイの書き方』を見て涙が止まらなくなった話

涙が止まらない。こんなはずじゃなかった。

パソコンを目の前にして、机の上に散乱したティッシュペーパーを横目に、ため息をつきながら書く。うまく書けるか不安だが、書きたい衝動が収まらない。

まず昨日の出来事から振り返って今の状況を説明したい。

私はフリーランスで、インタビューライターを名乗っている。昨日も家で仕事をしながら集中が途切れるたびにTwitterを開いては眺めていた。

お昼を過ぎた頃、とあるオンライン講座の感想がたくさん流れてきた。佐藤友美さんが講師の『初心者のためのエッセイの書き方』というオンライン講座だ。

佐藤友美さんのことは、入会しているWebライターラボのオーナー・中村さんのつながりで少しだけ存じていた。

エッセイ。自分なりに書いたことはあるが、ネガティブな過去を浄化するための、自分が良ければそれでいいような文章になっていたと思う。自分では、まるで自慰行為だと感じていた。しかし、私が目指すのは誰かの役に立つ文章。ぜひ学びたいと思い、教室に電話をかけてアーカイブを申し込んだ。

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それを見ることは、今日一番の楽しみだった。メールで送っていただいたアーカイブのURLを開く。

佐藤友美さんの説明は、いわゆる「自分の言葉」が多く、少し抽象的。「それって、どういうこと?」と話に引き込まれていった。具体例を聞いて納得。これぞ、ベテランライター!なんて敬服しながら話を聞き進めた。

1つ目の気づきは「インタビューの聞き方」と「エッセイの書き方」は似ている、ということだった。

私は今、無名人インタビューでインタビュアー・文字起こし・編集者をしている。無名人インタビューとは、普通の人に普通の人がインタビューを行う企画だ。コンセプトは「有名人だから面白いんじゃない。人は誰でも素晴らしく面白い」。

無名人インタビューの編集長・栗林さんに、インタビュアートレーニングで教わったことがある。質問の展開方法として、出来事と出来事を結んで例外に気づかせる、もしくは、出来事と出来事を結んでひらめきを促すのがポイントということ。

今回、佐藤友美さんの講座の中で、エッセイは出来事と出来事を結びつけ、共通点や相違点を新しい発見とした文章だという説明があった。

「インタビューの聞き方とエッセイの書き方って同じ構造なんだ!」と興奮した。

そして、新しい発見がしやすくなる方法を佐藤友美さんはいくつも教えてくれた。

私の解釈も含めて紹介すると、

・他人の目線で考える
・結論から逆算して問題をひも解く
・逆の立場を考えてみる など

なんと、エッセイを書く上での発見がしやすくなる方法を聞くに連れて、涙が止まらなくなったのだ。そこには2つ目の気づきがあった。

私は昔から考えることが好きだった。友人から「なごちゃんは悩むのが本当に好きだよね。普通そこまで考えないよ」と言われるほど。(旧姓が「なごし」なので、なごちゃんというあだ名だった)

あまり親しくない知り合いからは「不思議ちゃん」「何を考えているかわからない」「優しすぎる」と言われ、親からは知りたがりな一面をめんどくさがられていた。

自分は普通の人とは違うのかもとショックを受けていた一方で「奥ゆかしさがあるってこと?ミステリアスってことかな?それも魅力じゃん」と、自分の都合のいいように捉えることで精神的ショックを和らげていた。

実は、考えることが好きな私は、常日頃から「新しい発見がしやすくなる方法」で物事を見ていたのだ。他人の目線で考えたり、逆の立場で考えているため、自分の主張が薄くなり、意見を伝える時も「○○かも」と曖昧になる。考えたことを伝える時も、わざわざ結論から逆算して問題をひも解く(口下手で説明がうまくない)ので、相手は話についてこられなくなる。そもそも、あまり口数は多くない。そのため「不思議ちゃん」「何を考えているかわからない」「優しすぎる」などと見られていたのだろう。

しかし、エッセイを書くこととインタビューをすることにおいて「考えること」、つまり発見がしやすくなる方法で物事を見ることが、すごく活きるという。パズルのピースとピースがぴったりはまったかのように、ひらめいた。

もしかして、日頃考えていることを意識的に磨いて魅せ方を学び、考える幅を広くしていけば、私の強みになる?なんて思った。そうすることで自分が輝ける気がして、泣けてきた。長所は短所の裏返しと言うが、短所が長所に裏返った瞬間だった。

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そこまで分析が終わって、いったん涙は引いた。しかし、佐藤友美さんの次のメッセージを聞いた途端、止めどなく涙があふれた。

『知ることは愛することです』

なぜ、涙が止まらなくなったのか。心の中に眠っている子どもの頃の自分が癒やされたからだ。考えることが好きなのにうまく伝えることができず、わかってもらえないと孤独を感じていた子どもの頃の私が許されたと感じた。

誰かのことを知りたいと思うのは愛。
私のことをわかってほしいと思っていたのは愛してほしいから。

そういえば、栗林さんとのコミュニケーションで愛(恋愛のそれではない)を感じていたのは、新規でメンバーに加入した私のことを知ろうとしてくれていたからか、と気づいた。

無名人インタビューでインタビューを受ける体験をした後にも、インタビューしてくれた女性に対して好意を抱いた経験がある。私のことを知ってもらえて、うれしくなったからだ。

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『知ることは愛することです』

私は愛することができる人間だ。次のステップは、少しずつ愛する範囲を広げていき、知ったことをどう魅せるか学ぶこと。

この文章はエッセイになっているだろうか。まだまだ勉強不足ゆえ、それすらわからない。エッセイのつもりで書いたが、日記になってしまった可能性もある。後から振り返ろう。今はこのままの文章でいい。

ただひとつ、強く心に決めたのは、インタビュアーとライターの活動を通じて、許される人生のために学び続けたい、もがいて生きたいということだった。

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無名人インタビューでは参加者を募集しています!
せっかくなのでご紹介。