【脱コミュ障│前編】自意識過剰を自覚したら、心が穏やかになった話
以下のことに心当たりのある方は多いと思う。
人前に出ると緊張して、うまく話せなくなる
それでも頑張って話そうとしたら、ヘンテコなことを言ってしまって、余計に気まずくなった
本音で話したいのに、当たり障りない発言しかできない
実は、これらの原因は「自意識過剰」にあるのだ。
「自意識過剰を自覚したらコミュ障が改善された」という話をしたいと思う。
(「自意識過剰」というキーワードを見ただけで気持ちが落ち着かなくなるのは、わたしだけだろうか…?)
--------
わたしは友達が少ない。
小中高、大学と学校に通ったが、今でも連絡を取り合う愛すべき友人は、片手で収まるほどしかいない。(3本の指でも収まってしまい、さすがにヤバいと思ったのは、ここだけの話……)
だからこそ、わたしは自分のことをコミュ障だと思っている。
いや、正確には「コミュ障だと思っていた」となる。
このエッセイを書くにあたり、とことん自分と向き合った結果、コミュ障ではないことが判明した。
実は「コミュ障なのは過去のわたしで、今は自意識過剰で緊張しやすいだけ」だったのだ。
--------
ここからは、わたしに起きていた「コミュ障」の仕組みを解説する。重めの話になるので、苦手な方は飛ばしてもらっていい。
観念的な性格
対人恐怖
自意識過剰
---------
それでは早速いってみよう。
1.観念的な性格
きっかけは幼少期。わたしは心配性な母から、何かと急かされ、あれやこれや命令されて育てられた。
また、しょっちゅう強い口調で否定されたり、大勢の前で大きい声で怒られたりした。
そうして大きくなったわたしには「〜しなければいけない」「〜であるべきだ」という強迫観念に近いものが潜在意識に形成されてしまった。
2.対人恐怖
そんなわたしは、特に高校時代、あまり親しくない人と会話するときに「早く会話を終わらせなければならない」という気持ちが常にあった。
そのせいで、チグハグな話しかできない。会話にならない。仲良くなれない。
相手が「何コイツ」みたいになったことを察知して、悲しい気持ちになっていた。
また、常にストレスを抱えていたので余裕がなく、部活やクラスで一緒に過ごしていた子にはネガティブな話ばかりしていたと思う。
そして、徐々に誰かと関わることが怖くなり、大学生になる頃には、どうやって人間関係を築いたらいいのか、まったくわからなくなってしまっていた。
3.自意識過剰
社会人になり、紆余曲折ありながらも「人と最低限しか関わらない」仕事スタイルに落ち着く。
社会に出て仕事をする中で、ある程度コミュニケーションを学ぶことができた。
しかし、たまに人と会った時、
これまで多くの失敗をしてきたせいで、「変な人」「何コイツ」と思われることが怖くなっていた。
この「変な人、何コイツと思われるのではないか」と思うことが自意識過剰だ。
そして、「変な人と思われることが怖い」と極度に恐れることによって
緊張して思いどおり行動できない、自己抑制して本音を話せないという悩みにつながる。
--------
つまり、
何かきっかけがあって、自分の中に「○○と思われてしまうのではないか」という自意識過剰が生まれる。
「〇〇と思われるのではないか」と極度に恐れることによって「緊張」「あがり症」「本音を話せない」などの心の悩みが出てくる、ということだ。
この事実を認識するだけでも、かなり心が楽になった。
学生時代は間違いなくコミュ障だったが、今は違う。フリーランスとして仕事を続けていくために最低限のコミュニケーションを身につけた。今はただ、人と会った時に緊張しやすいだけなのだ。
--------
今回はここまで。
次回の【脱コミュ障│後編】では、
「自意識過剰をなくした方法」について説明していく。
続きが気になった方は、ぜひ読んでほしい。きっと、人として成長したいと思うあなたの役に立つはずだ。