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遺書に近い。の(4)

遺書に近いのよ。(笑)

このシリーズ(?)、しつこいのでこれで終わりにしますね。(内容的には私がnoteを始めた瞬間からずっと続いているし、これからもきっとまだ続くのでしょうけれど…。(^◇^;))

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10時半。飲むものも食べるもの(すぐに食べられるもの)も何も無かったので、シャワーも浴びず、「パジャマんま」(←「妻」語彙)で買い物に行く。(冷蔵庫にプチトマトはあったけど、トマト、そもそもあんま好きじゃないし…。)
ビール買って、((かなり!)珍しく)インスタントのラーメン買って、冷凍のチャーハン買って、パン屋にも寄って帰る。これで今日一日の退廃的な生活は保障された♪

もじゃ(カウンセラー)のところに行こうかとも考えたのだけれど、ただこの数日ここに書いてきたような愚痴(?)を繰り返して零すだけだろうし、もちろん何か画期的な解決策が得られるわけでもなかろうし、そもそも遠いし、それに高いし、止めた。それよりは怠惰で退廃的な一日の方が私には魅力的に思えた♪

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一昨日の電話で、昨夏、「妻」が「息子」に、

「父さんのところにでも行く?」

って聞いてくれたことがあったと聞く。
クールで、(おそらく(何らかの))「特性」がある彼は、

「ん? 別にどっちでも。」

みたいな返事をし、それは実現しなかったのだとか。でも、私は、「妻」が彼にそう訊ねてくれたことだけでも十分に嬉しい。

ちなみに、私からの何度かのプレゼントについても、(「妻」曰く、私(=こじか)が可哀想なくらいに)「息子」の反応はクールだったのだそうである(「妻」はそれを電話口で笑いながら話してくれた。)。
うん、いいよ。それでも。(「妻」は、さらに、「まぁ、本心は分からないけどね。」とも言う。)

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「遺書に近いのに(=の(2))」で書こうと思ったのは、「妻」の相槌もほとんど無いのに、私がひとりで延々と語り、あとで、

「いや、相変わらず上手に喋るなぁと思って(笑)」

と言われた(呆れられた?(苦笑))その内容についてだったのだが、もう、ちょっと書くだけの気力が…。(泣)

ただ、私は、「息子」の小学校卒業のときに贈ったアルバムのことについて話をした。

「あのアルバムにあなたの写った写真がたくさん入っちゃったのは、別に何かあなたに媚びようとか、情に訴えようとか思ったわけじゃなくって、普通に選んだら外すことができなくって。でも、それを見てたら、ごく最近の写真もあってさ、『なんでもうこれが出来なくなっちゃったんだろう』って思えて。だから、この1年、静岡に行ったり、利賀(富山)に行ったり、こないだも津和野に行ったりしながら、『前に一緒に来たよなぁ』とか『一緒に来たかったなぁ』とか思ったりしてました。だから、例えば尾道からも葉書を出しちゃったりしたんだけど、それは『重い』って言われちゃうし。こないだの津和野でも、何か送りたかったんだけど、我慢をしてました。」

そんな話に対して、「妻」からは大きく2点。

ひとつは、

「だって、電話だって『重い』んだから。言い方がおかしいかもしれないけれど、あまり連絡をしてくれなかったことに感謝してる。」

と。
そして、もうひとつは、

「私も、『なんでこんなことが出来なくなっちゃったんだろうんだろうなぁ』って思いながらアルバムを見てた。」

って。
その後、もっといろんなことを「語った」んだけれど、それは「妻」とだけの会話ということで、ここではもう書かずにおこうと思う。(「のに(=の(2))」は、そもそも、それを書くつもりで書き始めたんだけど。(苦笑))

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今後どうやって生きていこうか、「息子」に対してはどう接していくべきか、「離婚」についてはどうすべきか、いつまでもこのアパートに住むのか、老父母のことはどうしようか、そもそもいつまで生きようか。そんなことをつらつらと考えているこの数日です。

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アゲハチョウを巣立たせてくれたフリージアと「タコに似ているようで似てない名前の花」は、明日くらいで引退かなぁ? あるいは、別の花瓶に移動してもらい、明日、次の花を買ってこようかなと思っている。

少しずつでも、ゆっくりとでも、前に進めればと思って(は)いる。