見出し画像

イッセー尾形「妄ソー劇場」。

初めて彼のひとり芝居を見たのはきっと大学の頃、「都市生活カタログ」だったと思う。何とも達者な人で、そして、何とも不思議な人で、ただただ圧倒されたのを覚えている。
以来、大阪(近鉄アート館)や名古屋、福岡などへ毎年彼の舞台を追いかけていたが、なぜかいつの頃からか途絶えてしまっていた。

再び見始めるようになったのは数年前。京都での「妄ソーセキ劇場」だったと思う。健在だった。円熟だった。抜群だった。幸福すぎて、可笑しいのに涙が出そうになった。
台風で高速道路が通行止めになった日の京都も行った。
コロナ禍で延期された近鉄アート館にも行った。
いつも、可笑しくて仕方がないのに、ホント、泣きそうになる。幸福すぎて。
サインはしてくださるし、握手はしてくださるし、一緒に写真は撮ってくださるし、気さくで、自然体なのがホントすてき♪

「ひとりでなんでもできちゃうから、劇団とかでできないんだよ」
って話を誰かから聞いたことがある(ような気がする)。そうなのかなぁ? でも、確かにそうなのかもしれない。
絵も、造形も、台本も、演出も、音楽(作曲・演奏)も、何もかもひとりでできちゃうから、人と合わせるのが面倒くさいのかもしれない。自分の好きに、やりたいのかもしれない。

とは言え、彼にギスギスしたところや、偉そうぶるような様子は一切無い。瞬間瞬間を、ただただ心底楽しんでおられるように見える(そうとしか見えない。)。

「妄ソー劇場」は「妄ソーセキ劇場」から変化してきたものだが、彼が明治の文豪、夏目漱石に興味を持ったのは理解できる気がする。鷗外でも芥川でも太宰でも川端でも三島でもなく、(胃を病みながらも)飄々と激動の時代を生き抜いた夏目漱石。そんな「余裕」を、私はイッセー尾形さんにも感じる。

普段テレビをまったく見ないのでドラマなどに出ている彼のことを知らないが、知人から、
「そりゃあ、圧倒的だったよ!」
などと聞く。「あたりまえだろ」って思う。
この夏、映画「太陽の子」でも、やはり格の違いを感じた。短い台詞なのに、存在感が違う。

鬱気味で、生きることに悩むことの多い私だが、ときどき彼の舞台を見ては、生きることの喜びに気付かされ、勇気をもらって帰るのである。

画像1

画像3


この記事が参加している募集

#舞台感想

5,880件