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百箇日。

父が亡くなって、百箇日。
今日も午後から代休を取っていたので、今日はちゃんと退勤をして、実家へ(下道で、寄り道しながらも)ダッシュ。お坊さんのちょっと前に実家に辿り着く。途中で黒枝豆と柿をゲットして、黒枝豆ひと袋はお寺さんに差し上げる。(昼前に職場を出て、何となく、父が逝った日のことを思い出してしまう。)

百箇日とは、スマホで調べた母曰く、「『死去からもう100日経ったから、いつまでも悲しみの淵に暮れてなくてもいいよ』って日らしいよ。それから、亡くなった人は大体みんな四十九日であの世にいくんだけど、ときどき四十九日では行くことができない落ちこぼれみたいな仏さまがいるらしくて、そんな仏さまのための『猶予』でもあるんだって。」という話。父は今頃どこで何をしてるんだろう?

いつものお寺さん。良いお声で安心をする。

花の向こうに父の位牌。
実家の庭の金木犀。

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お昼は抜くつもりでいたのだが、実家で、栗ご飯(一膳)、お味噌汁、柿(めっちゃ小さいの、3切れ)、みかん(ひとつ)、栗饅頭(?)を食べた。
晩は、実家でもらった(交換した)黒枝豆。すでに茹でてあるやつ。私、枝豆を茹でることすら今はできそうにないし…。(T_T)

帰り道、信号待ちの間の写真。
これも。
いつも実家に行くたび気になるトコロ。

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**市で散髪(5㎜、丸刈り)してから、帰途。
午後4時17分頃、ちまよって、「家」のすぐ横のバス道を走ってしまう…。
男子中学生を7、8人ほど見るが、その中にうちの息子の姿はなかったように思う。ただ、「家」のごく近所のバス停のベンチに座っていた後ろ姿の男子中学生がふたりいたので、それが息子だったんじゃないかと、気になる。でも、どの子もにこやかだったから、それはそれで良しとしよう。
いずれにせよ、息子のおそらく100m圏内を走ったことは確実なはず。なのにまったく何も通じないんですよね。悲しい話です。

「100日経ったから、いつまでも悲しみの淵に暮れてなくてもいいよ」って言うのにね。いつまでグズグズ言ってるんだろう、私?