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目覚めは淹れ立てのブラックコーヒーと共に

朝の五時過ぎに鳴るように設定したスマートフォンのアラームが鳴るより先に目が覚めることが多くなったのは、中年と呼ばれる歳に達してしまったからだろうか。日に日にほんのりと明るくなってきたのを感じつつ、スマートフォンを手に布団から起き上がる。


朝起きて最初にやることは体重計の上に乗ること。

ダイエットを始めたのは二月のことだった。そこからスマートフォンの食事記録アプリを友に二ヶ月で12㎏減量できたはいいが、そこから思うように動いてくれない。

あと1㎏落とせば大台をクリアできるのに。その大台の前で増えたり減ったりを繰り返して一ヶ月。俗に言う停滞期か。今日も思ったほどには減ってないことを確認し、軽く落胆しつつも表示された体重と体脂肪率を正直にアプリに記録していく。

「まあ体脂肪率は減ってるしな」
頭の中で独りごちながらキッチンに立ち、やかんを火にかける。湯が沸騰するのを待つ間、一人分のドリップパックを取り出してマグカップの上に乗せる。

よし、長女は今日は夜更かししていない。コロナ渦で大学もオンライン授業になり、毎日が夏休み状態の長女は夜通し好きなことをして朝を迎え、オンライン授業に出た後寝るという生活を送っている。こちらはそれを支えるためにしたくもない仕事をして、顔も合わせたくない同僚からの聞きたくもない小言を聞いているというのに、お気楽なものだ。

だからせめて、この朝の時間は誰にも邪魔されたくない。常に家族がいる生活というのは孤独を感じる間はないが、反面「独り」の時間が無性に欲しくなる。最初は別のきっかけで始めたこのモーニングルーティーンだが、今はかけがえのない私だけの時間だ。まだ家族が寝静まった間の、いつもの朝を迎えるまでのこの落ち着いた時間を過ごせる幸せを噛みしめ、湯が沸くのをしばし待つ。

沸騰した湯をドリップパックの上に少し垂らし、中の豆を蒸らす。体感で二十秒ほど待った後、今度は湯をドリップパックの中に細く垂らすように満たしていく。立ち上るコーヒーの香り、窓から見えるうっすらと朝陽に染まっていく景色。マグカップの中にちょうどいい分量が入るほど湯を入れ、頃合いを見てドリップパックをマグカップから外して捨てる。

キッチンに置いてある折りたたみの小さな椅子をいつもの位置にセットして、その上に腰を下ろすと朝のコーヒータイムの始まりだ。複数人分の量を淹れられるコーヒーメーカーもあるのだが、物事に頓着しない主人は手軽に飲めるインスタントがお好みなのでいつしか私一人分の量だけで事足りるようになってしまった。インスタントでは味わえない香りをもう一度吸い込んで、淹れ立ての一口を啜る。

ああ、今日も美味しいコーヒーが淹れられた。舌の上に広がる芳香と苦味を存分に味わってゆっくりと飲み込み、窓の外へと目を向ける。

新しい朝が来た、希望の朝だ。とは言え平凡なパート主婦の日常に心ときめくような出来事はそうそう起こるわけもなく。今日もパート先で神経をすり減らし帰ってから家事にいそしむいつもの一日が始まるのだろう。

だけどこの時間の中にいると思うのだ。こうして独りコーヒーを楽しむ時間を持てる私は幸せだし、たとえ今日が冴えない日に終わっても、明日は何かいいことがあるかも知れない。体重計の数値も大台を割り込んでくれるかも知れないと。変わり映えのしない毎日、この時間だけはかけがえのない、私だけの宝物のような時間だと。

ゆっくりと楽しんで時計を見るともう六時が近い。朝の支度をしなければならない時間が迫っている。こうしてまたいつもの、変わらない一日が始まっていくのだ。

立ち上がって伸びをしたあと小さな椅子を畳んで立てかけ、空になったマグカップをシンクの片隅に置き、私は家族を起こすためにキッチンを後にする。向かった二女の部屋からは、彼女がアラーム代わりに設定している最近流行の音楽が鳴り始めていた。

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