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もやしもんの話

 マガポケで無料の宣伝してたので、久々に読み直してみた。
 「もやしもん」は農大を舞台にした菌と青春のお話で、「のうりん!」や「銀の匙」の先駆けみたいなポジションかもしれない。いま読むと結構時代にそぐわない描写もあったりするんだけど、それでもやっぱりおもしろかった。

 いま読み返してみると、けっこう好みや考え方に影響を受けてるなと思う。その最たるものは、「その背景にウンチクや苦労はたくさんあるだろうけど、結局メシなんて美味けりゃ良いでしょ」的な価値観だ。この言葉はそのままエンタメにスライドさせて応用できると思う。まぁ、「その上でウンチクも楽しめたら楽しもうね」というのがもやしもんのスタンスではあるし、僕はそもそもウンチク大好き野郎なので、どっちかというと自戒の意味が強い。
 キャラとしては樹教授と及川葉月が好きだ。及川の、「なんかめちゃくちゃ可愛い子がゼミにいて距離感も近いんだけど、別に恋仲になったりはしてくれない感」のヤキモキする感じはすげぇリアルに大学生って感じがした。大学生の男女の友達ってこういう距離感だよね……。

 ちなみにここまでの話は全部前座だ。
 今日はもやしもんフランス編の話をする。実は読み返したときに大きな発見があった。

 フランス編の話の軸は大きくふたつだ。「ゼミの院生・長谷川遥の望まぬ結婚阻止」と「ワイン醸造所の娘・マリーと父親の確執」である。先に読者の興味を強く引っ張ったのは前者だろう。けっこう入念に仕込みがなされていた話だったし。
 遥は気が強い女王様気質のキャラだ。どっかのでっかい企業の娘さんで、龍太というネッチョリした体型の婚約者がいる。父親からは結婚を急かされており、大学なんかさっさと辞めろとまで言われている。なんか20年くらい前の作品にしたって価値観がずいぶん前時代的なお父さんだ。

 遥は父親の謀略で、婚前旅行として龍太とフランスに行くことになる。そこでそのまま挙式までさせちゃおうというというわけだ。ゼミの教授である樹は、主人公の沢木と、ゼミ生である美里と川浜に「フランス行ってチーズ買ってきて」とおつかいを頼む。
 美里と川浜は、農学を金儲けの手段として考えている節があり、遥からは軽蔑されている。ただ、沢木からしてみれば気の良い大学の先輩で、二人も先輩として良いところを見せようとするあたりから、遥にちょっとずつ見直される。特に美里(どうみても笑い飯の西田にしか見えない)とは、ちょっとずつ距離を縮めている描写があった。

 当時、リアル大学生だった僕はフランス編を読んで「美里と遥がもっと距離を縮めるイベントだ」という認識だった。実際それは間違っていなかった。遥と龍太の結婚は阻止され、クサレ大学生であった美里がクサレ大学生なりにカッコいいところを見せる。でも、いま読み返すと、そこには長谷川遥側からの龍太に対する絶妙な質感を感じるのだ。

 龍太はいわゆる「俗物」として描かれている。
 自分が遥と結婚するのは当然だと思っていて、金を持たない庶民を見下している。ネッチョリした体型とネッチョリした性格。髪は似合わない金髪のオールバックだ。「なんかダメそうなやつ」という印象が、石川先生の筆力で見事にビジュアライズされている。

 遥も、龍太が浅い知識で食や経済を語る様にうんざりする様子が描かれているし、自分と龍太との関係の不健全さを美里に対して吐露している。でも、父親に対する敵愾心とは裏腹に、龍太そのものを嫌悪している様子は描かれていない。

 何より、龍太が本音を語るシーンだ。龍太は子どもの頃から、遥を許嫁として意識して育ってきた。だが、初めて会った時からずっと、遥に良いところを見せないといけないことをプレッシャーに感じており、「僕は遥さんとの結婚を望んでいない」という自分の気持ちを理解する。
 龍太がこの気持ちを切り出す直前のコマ、遥は何かをこらえるように唇を噛んで天井を見上げているのだ。この話が終わったあと、遥は美里たちに事の顛末を「フラれた」と簡潔に伝えている。僕は当時、遥のこの発言をある種のシャレと解釈していたが、実は意外と本音に近い言葉だったのかもしれない。

 フランス編に入る前、遥は龍太との関係について、「デートの時手つないでくれない男の隣なんて一歩も歩きたくない」と語っている。これは「結婚が嫌なのか、許嫁が嫌なのか」という質問に対する回答であって、実は結婚が嫌だなんてひと言も言っていない。
 龍太の遥に対する接し方は、両家からのプレッシャーの結果であり、そこに龍太自身の意思が介在していないことが、遥にとって一番の苛立ちの原因だったのではないか。しかし龍太がいざ自分の意思を取り戻してみると、彼は自分との結婚を望んでいなかった。「遥は実は龍太のことが好きだった」とまで解釈するのは行き過ぎかもしれないが、もしそうだとすると、遥の気持ちのままならなさがなんとも切ない話だ。

 なお、遥は後に美里とくっつく。読者も望んでいたことだろうし、フランス編で美里は遥を連れて行く際に彼女の「手を握って」引っ張っているので、この時点で遥の本心はどうあれ、作者の中では決まっていたことだろう。

 もともとフランス編は、もう一本の軸であるマリーの話含め好きだったのだが、久しぶりに読み直すといろいろ衝撃だった。なにせ大学生の頃はしょっちゅう読み返していたような作品である。そこに、こんな関係性の質感が眠っていたなんて……ねぇ?
 物心ついて読んで好きになった作品でも、10年スパンで間をあけて読み直せば、別の発見があるものだ。でも、この「遥→龍太」の感情の可能性を上回る発見は、しばらくないような気もする。それくらいの驚きであった。

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