平興酒店閉店に際して

場所が物語るということ 街の変容

人は 個人的な幸不幸に関わらず、環境に抱えられて生きねばならない。 親と関わり(関わらざるを得ない)、家庭学校社会と環境を生きる。どんな状況でも、である。
人間は誰でも「人間らしく生きたい」と、極素朴な願いを生きている。
自己の尊厳が得られ、他者に対しては「家族的」愛や「友情的」愛を与えることができるように
希望しながら生きている、これが極素朴な願いである。
ところが、現実的娑婆世界は人間に対して、そのような希望をことごとく挫折させてゆく。希望
や願いの挫折は、人間が現実的娑婆世界を生きる限り止ん事無きことでもある。

人間は『本来の場所』、人間らしく暮らせる場所で生きたいと希望し期待する。が、個々が暮ら している現実は常にそれから外れ、違って行く。むしろそれが人間的なのかもしれない。 現実的娑婆世界人間は虚栄心の塊りで、他人との抗争の中で暮らすべく余儀なくされている。それ が自我を抱え込んだ人間の生き方でもあるのか。
そういうある意味人間らしく、良いも悪いも酸いも甘いも、を、家族や他者と共有した場所。そ
こに生きた人間の手垢がついている場所、空間。そのような場所も時代社会の変化に伴って無く
なってしまう。

『本来の場所』。そんな場所は何処にもない。と云ってしまえばそれまでの話であるのだが、だ からこそ、逆に本来的な場所で暮らしたいと希求し,そのような場を創造したいと願う。この人 間の現実世界には、無数の死者たちの物語り,それに伴う場所がこの現実世界に刻印され、死者 の痕跡も叙述されてある。人間の生き様は、その人の生きる環境(場所)と色々な死者の物語と 痕跡に影響を受け形成される。
それはありもしないかもしれない『本来的な場所』のヒントになる。

街が残すべき、作るべき空間場所はそういう場所である。

平興酒店、閉店に際して雑文。

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