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躁鬱(双極性障害)の人向け 「自分には価値がない」から解放されるには?

発症して色々できない時期には、自分がまるでなんの価値もないように感じて益々落ち込んでいました。

今は、そういったことは感じないのですが、それは、他人と比べなくなったからでもあり、価値は縁によって変わったり、当てるものさしによっても変わるものだと理解したからです。

例えば、“頭の良さ”を比べた場合に、勉強ができる能力なのか?危険を予測して最善策を出せる能力なのか?共感力に優れ、人をまとめられる能力なのか?など、いろんな切り口、ものさしがあって、勉強ができる・できないが全てではないとわかります。

たまたま、同じ学校や会社の中での人間どうし比べられ、評価を受ける機会もありますが、これは縁なので、対象や時間の経過でその評価は変わっていきます。

ここで、大胆に時代を遡ってみたいと思います。縁に通ずる話ですが、もしも双極性障害の持病を持って、縄文時代に生まれたなら、そんなに難しく考えずに過ごせるのでは?と思いました。

縄文時代の仕事は、狩りや木の実などの採集です。他にも矢じりを作ったり、土器を作るなど、生活に関わることをやっていました。

捕獲したものはみんなで分けて暮らしていたようです。仕事について価値の高い・低いはなく、必要な仕事を分担していたらしいです。

怪我をして狩りに行けなくなった→土器を作る、に転向しやすかったかもしれませんね。

生活に関わる仕事の価値が高かった時代だと思います。

現代に話を戻すと、病気や怪我で仕事を変えるのが容易ではない、と感じます。双極性障害の場合は仕事に対する能力よりは、体調の問題で、能力的には出来るのに、手を出せないというジレンマはあると思います。

そうは言ってもこの時代に生まれたので、工夫していくしかないのですが・・。

価値は時とともに変わるものですが、自分が大切にしたいこと、自分はこれが心地よいと思う状態はそう変わらないのでは?と感じます。

そして、それが満たされている時、「自分には価値がない」などという囚われから解放されると思います。

私の場合

  • 心身ともに安定した状態を保つ

  • 身近な人と楽しく仲良く過ごす

この辺りを心地よいと感じていて、そのために必要なことを生活に組み入れています。

また、ありがたがってくれるところに少し顔を出したりします。

子どもの習い事の手伝いに出たり、畑のお手伝いに行ったり、「ありがとう」と言ってもらえるのは、その時間、“価値ある人”にすぐなれるので。

お金にはなりませんが、直接「ありがとう」をもらえる機会は大切かな、と思います。

まとまらないですが、今日はこのへんで
読んでいただき、ありがとうございました。






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