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躁鬱(双極性障害)の人向け 双極性障害でもうまくいくことを考えている時に注意したいこと

発症してから、ゆっくり休んで、癒して、遊んで、元気になってきた。そんなタイミングで考えるのは、これからどうするの?自分には何ができるの?そもそも自分は何が好きなんだっけ?という問い。

どうにかして、“双極性障害でもうまくいく方法”がないか探してしまうのですが、仕事であれば、「在宅で稼げて楽しい」のような方向性になり、セミナーやコンサルを依頼し、やっている気になりそうな自分がいました。

自身が双極性障害を公表されている、作家・建築家・音楽家など多彩な顔を持つ坂口恭平さんを知る方が多いと思うのですが、私も本を読んだことがあり、とても希望をいただいた一人です。

坂口さんのように、文章を書いたりして稼げたらどんなにいいだろう、と思いました。ただ、言葉に触れるうちに、私は何か違う見方をしているのでは?と感じました。

坂口さんの発信するものは、どこを切り取っても生活、に見えたのです。料理、子どもの送迎、掃除、洗車、執筆、絵を描く、野菜を作る、音楽、釣りなど。

自分の生活スタイルがあって、その一部がお金を生むような、無理や矛盾のない活動なのだと思いました。

絵を描いて稼ぐ、文章で稼ぐ、のような一部を切り取るように真似をすると、苦行になりかねない、とも思いました。

見逃せないのが、坂口さんには良好な人間関係がある、ところです。体調を崩しても、その期間、他の人がカバーしてしまう(吸収する)柔軟な対応が成立しているのでは?と考えました。

“うまくいく”ことの前に、自分の気に入っている生活を作る、その過程では自分に合う・合わないが見えてくるので、都度入れ替えをする。

生活をしない限り、好きなこともできることもわからないまま、どこか外側に探しにいってしまうこともあるかもしれません。

気に入った生活に近づくほど、機嫌がよく、笑っていることが多い。私の場合はこれがバロメーターになっていて、全然笑ってないなら、何かが違っていると思って、やっていることを点検します。

自分と家族が楽しく仲良く暮らしたいと思っているなら、多分笑っていた方が良いと思うし、それならば好きなことをするしかないと考えました。

自分の気に入っている生活を続けていると、“余り”が出てきます。体力がついてきて、家族以外の人を手伝える、日々の生活を文章に起こせる、など。

坂口恭平さんの創作は、こんな言い方をしたら雑ですが、“余り”をみんなに分ける方向性だと思います。(あくまで私の見解です)

気に入っている生活の一部が絵であり、自分が好きな絵は、おそらく家に飾って家族で楽しみ、それ以外(余り)を分ける(売る)。

“うまくいく”を目指すより、気に入っている生活をくるくる回す方が、結果的には望む方向へ向かうのではと思っています。

今日の記事は、成功を求めるときには視野が狭くなって本質が見えなくなってしまったり、騙されやすくもなるので、自分への戒めも込めて書きました。

お読みいただき、ありがとうございました。


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