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躁鬱(双極性障害)の人向け 求人情報を見ては落胆を繰り返す時に考えてみたいこと

体が元気になってきて、何かやりたい気持ちがある、でも求人をみると「通えないかも」「こんなに長時間は無理かも」→「働くの無理かも」→「ずっと働けないかも」→「人生真っ暗」「詰んだ」と結論付けて落胆してしまう。

このような心の動きは、“結論の飛躍”と呼ばれています。未来のことは、わからないはずなのに、あたかもそうなるのが事実かのように思い込んでしまい、ネガティブな気持ちに浸ってしまいます。

簡単な言葉に言い換えると、“勘違い”や“早とちり”なのですが、これらは、双極性障害のあるなしにかかわらず、誰でもやっていることです。

“結論の飛躍”を出来るだけ防ぐ方法ですが、一人では飛躍していることに気付きづらいので、人の意見を聞く、話をし、情報を集めるのが有効です。

他の例でいうと
受験に失敗してしまった、この先真っ暗だ。
恋人にふられた、私は一生愛されない。

こう結論づけている人を前に、「そんなことないと思うけど…」と飛躍していることに気付けると思います。でも、それが自分だと難しくなります。

今現在働けないこと(事実)と、将来の幸不幸(不確実)を並べて考えても、今が不幸になるだけで、何も現実的な方向性が見えてこないと思います。

病気を発症して、それを受け入れて初めて主体的に治療に取り組めたように、まず“働けない”を受け入れてみる。

すると、病気になって問われているのは、働けるか?働けないか?ではなく、生き方のほうだ、と思えてきました。(私がそう感じただけです)

働けるに越したことはないけれど、働けなくても、自分と周りが仲良く、楽しくいられるために、自分が今できることは?といったように、今の自分でできることに目が向くようになりました。

一度受け入れることで、今できることと、出来ないことを分け、「とりあえず、できることを少しやってみる」といった気持ちになりました。

このような方向性でいると、そのままの自分を否定することもないのと、目の前の現実が自分の想いと一致してくる感覚があります(実際はそのように自分が見ているだけですが)

働く・働かないの前に、自分が感じる幸せとはどういうものか?をしっかり把握する必要があるのかな、と思います。なぜならその方向が分からなければ、”みんな”に流されて物事を決めるしかなくなるので。

私の幸せの要素

  • 笑い

  • 楽しい

  • 興味・好奇心

  • コミュニケーション

この辺りが私の幸せの要素で、これが大きくなるようなことをするけれど、これを削るようなものはやらない、といった行動の指針になっています。

多分、これは病気があってもなくても同じだと思います。

求人情報を見ては落胆を繰り返す時に考えてみたいこと

  • “結論の飛躍”をしていないか?

  • 自分の幸せがどんなものか把握しているか?

今できることをやり、やりながら考える方が、事が進んでいくような感じがします。

と、ここまで書いてきて、矛盾するようですが、「幸せになりたい」「お金持ちになりたい」「健康になりたい」「痩せたい」などの欲が、不幸を生みます。

なぜなら、それらの理想と現実の比較が生まれるからです。欲をなくすことは出来ないけれど、あまりこだわらず、不安な心はそのままに、今日やることをやればいいのかな、と思います。

それは、晴れたから洗濯物を干すとか、植物の世話をするとか、ちょっと体を動かすとか、その時やってみようかなと思えることです。

毎回、自分が経験した気持ちを振り返って書いているのですが、過去(今も)何かを探して、バタバタしていました。

でも、バタバタしていると、例えば海の中なら、泥が舞い上がり、視界が無くなってしまいます。

じっとしておく、とかボーッと眺めてみるとか、そういう態度も大事なんだろうと思います。(出来てはいません…)

読んでいきただき、ありがとうございました。



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