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躁鬱(双極性障害)の人向け 焦りや苛立ちから解放されるには?

これは、私が最初に書いた記事です。久しぶりに読んでみて、言い回しは今と違うのですが、考え方については変わっていないと思います。

今日は、この一部を掘り下げて書いていきます。

双極性障害を発症し、鬱の底だと思っていた地点があるのですが、実は私にとって、もっと下の底がありました。それを仮に“本当の底”とします。

鬱の症状があると、以前できていたことが出来ない、生活がままならない、未来に希望がない、何も感じない、など状況や感情はグチャグチャです。

症状が落ち着いてくると、焦りや苛立ちがあると思うのですが、ここからが“本当の底”が見えるタイミングな気がします。

なぜ焦っているのか?なぜ苛立つのか?病気を受け入れたのになぜ?

これくらい時に気づきました。私に差別や偏見があるんだ、と。あっちとこっちに無意識に分けて、あっちにいる時には、こっちの人に対して「かわいそう」と思っていなかったか?

いざ自分がこっちにきたら「かわいそうな人」になっている。それが受け入れられなくて、必死であっちに行かなくては、と思う。

つまり、世界を分けている(無意識でも)ことこそが、自分の首を絞めている状態を生んでいるのでは、と考えました。

私は、病気を受け入れた次に、自分は無自覚の差別や偏見がある人間だ、ということを受け入れました。

これまで、素直に、人に後ろ指指されないように生きてきたつもりなのに・・
差別と偏見か、認めたくないな、って思いました。

これを受け入れたらどうなったか?

「あっちもこっちも最初からなかったんだ、それぞれの人の分だけ世界があってその時々を生きているだけ」

で、自分てすごく色々な人に助けられて生きてる、と本当の意味で感じられて、目の前の世界が違って見えました。

焦りも苛立ちも、他人は一切関係なかったんです。私が世界を見る目が、世界から私がどう見られるかとイコールになり、無意識的なものであっても時として自分を苦しめるのですね。

自分の嫌な部分を受け入れると、優しくなります。差別的なことを言う人がいても、「私にもそういうところがある」と許せます。「自分にはない」と言ってしまう方が、傲慢なのかもしれません。

優しくなると、優しさが返ってきます、すると目の前の世界が優しく見えてきます。

”本当の底”は私にとって、認めたくない黒い自分と向き合うことでした。他の人にとってはまた違うものなのかもしれません。

底に足がついたので、それ以上バタバタせずに、嫌な自分も集めてくっつけて1つに出来てきたのでかな、といったイメージです。

わかりづらい話だったらすみません・・
読んでいただきありがとうございました。

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