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躁鬱(双極性障害)の人向け 楽な方を選ぶのは悪いことではない理由

私はよく人生という言葉を使いますが、それは長いスパンではなく、今日1日という単位で眺めています。

誰もが良い人生を送りたいと考えていると思います。私もそうです。

双極性障害を発症した後、すごく自信喪失しました。良い人生とは無縁の日々を送る、そう思っていました。

病気だから何もかも上手くいかないと思っていたので、そのままの現実を目の前に感じていました。

いま振り返ると、頭で考えたことを実行し、体が「無理だ」と言っているのに無理に引っ張ろうとしていたから上手くいかなかったような気がします。

一番簡単なこと(自分にとって楽なこと)をやっているうちに、体の方から「それはできそう」というサインを感じるようになります。

これは、私の考えですが、すごいこと=人に褒めてもらえること、などやる必要がないんです。

なぜなら、自分にとって楽なことをありがたくやっていると、周辺からとても感謝されるからです。

順番が大事で、感謝されることをやるのではなく、自分が楽にできることをやる、が先です。

これを最近実感するのが、今年引き受けたPTAなのですが、文章をパソコンで打つだけで、すごく感謝されます。

楽なことをありがたがってやるという点では、私は寝たきりの時期を経ているので、何をやっても割と嬉しいのです。「あの時の自分には考えられない今にいる」という感じでしょうか。

もっと小さいものでは、ゴミ出しが好きで、今朝も大雨の中だしてきたのですが、気持ちがスッキリする上に、家族にもありがたがられるオマケが付きます。

喜んでもらった時の嬉しさ、みたいなものはじわーっと体に蓄積されて、元気になっていきます。

ジタバタとしなくても、日々何かやれることが流れてくるので、タイミングが合う楽なものを積極的にとってみたらいいのかな、と思います。

こう書くと、ネットの中を探してしまうのですが、「ふと、庭の雑草が気になった、抜いとこう」みたいなことが始めやすいような感じがします。

「自分の人生ってどうしたってよくなっていくんだな」というイメージと自分をくっつけて、笑ってできるくらいの楽なことを、ちょこちょこやっていくと、変化が起こるように思います。

心理学で学んだ中で、苦しまなくても人に喜ばれる、という話は沢山聞きました。自分が喜んでいるという心に人は共鳴し、喜びが大きくなるのだろうと思います。

少し抽象的な話になりましたが、(自分にとって)楽な方を選ぶのは悪いことではない理由は、結果的に人に喜ばれてしまうからです。

読んでいただき、ありがとうございました






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