夢幻の廃墟@人と認識できる何か

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最近の記事

「死んでも楽になる保証は無い」への反論と私の博打論

私はネットで死ぬ死ぬ詐欺をしている。よくもまあ飽きもせず言い続けているものであり、私が未だに自殺できていないという事こそ、私の無能さ加減を表している物だと自分でも呆れ果てている。 そんな人間なので、「お前は本当は死にたくないのだろう」と言われても致し方ないと思っている。一応そう言われたら「まあそのうち死にますから見ていてくださいよ」と言い返すつもりではいるのだが、何年も死ねていないのでやはり私は死ぬ気が無いのかもしれないし、死なずにすむほど人生が好転したわけでもない。 幸

    • なぜ私は今回の選挙に行かなかったのか

      つい先日、衆議院選挙があった。最近は選挙のたびに「投票率をあげよう」とするキャンペーンが行われる。私はそう言う風潮が嫌で嫌で仕方がない。投票率をあげようとする運動自体、「若者」「老人」の対立軸をあげつらう世代間論争になりがちだし、その過程に於いて、「社会保障」が減らされると失望して選挙に行かなくなった老人は語られない。 このように「選挙は国民みんなの為のもの」と言いながら、他方で自身の属性への利益誘導に徹しがちな「選挙に行こうキャンペーン」を私は冷笑し、或いは嫌悪しつつ「選

      • 自殺を!ただひたすらに死を!――あるいは、誰にも守られない人々の話

        自殺というのは素晴らしく社会にダメージを与える行為だと貴方は思わないだろうか?私は勿論そう思う。 社会というのは、ある特定の人々に優遇されるように動いている。老人より若者が、単身者より子供がいる家庭が優遇されるように動いているし、「現状があまりにも優遇されていない、金をよこせ!」とする意見を貴方は聞いたことがあるだろう。 まあ、現状優遇されているかいないかは置いておく。そこは重要ではない。問題なのは、これらの意見の根本にある「社会に利する存在を人々は守り育てていくべき」と

        • なぜメンヘラは優生思想を内面化するのか

          左派の人々は、度々優生主義批判を展開する。優生主義を展開したと思われる右翼や、特段政治思想を持たないような人たちを左派は痛烈に非難する。「老人は早めに死ぬのが世間に於いて得」であるとか、「障害者を社会が包括するのはデメリットが大きい」などの意見について、これを優生思想であり、許されざる言説であると痛烈に批判するわけだ。 私も、やまゆり園事件の被告を擁護する人々が多かったのには非常に驚いた。極めて凄惨な事件であり、被害者の生きる権利を踏みにじった被告に怒りを抱いただけに、これ

        「死んでも楽になる保証は無い」への反論と私の博打論

          何故近年批評が嫌われるようになったかの個人的仮説

          前々より、批評に対する様々な意見を見るようになった。「最近のオタクは作品への批判的批評に対する耐性を持っていない」だとか、「昔に比べて批評が好まれなくなった」だとか。 私自身は批評については、00年代のポストモダン関連の書籍や近年ブームになった作品の批評本をパラッと立ち読みした程度。納得する記述も無いとは言えないが、「それは流石に飛躍ではないか」とも思ったりもした。 なので、批評という物について明るくはないが、近頃の「何故批評が好まれなくなったか」という議論に於いて、一つ

          何故近年批評が嫌われるようになったかの個人的仮説

          「寿命としての自殺」を選択肢に入れるということ

          自分は物心がついてからという物常に自殺を考えてきた人間である。 軽いいじめも受けた。誰も助けてくれなかったし、自分に助けられるだけの価値もあるとは思わなかった。自分が社会に適応できるとは到底考えづらく、社会と距離を置いて暮らしていける方法が無いか探ったものだ。 しかしそれも叶わなかった。凡人である僕は、一握りの天才が出来るような、他者を可能な限り排す生活など送れるわけが無かったのである。 そんな中で私生活もうまく行かなくなって、兼ねてより考えていた「自殺」という選択肢を

          「寿命としての自殺」を選択肢に入れるということ

          「人々は生きるべきだ」という前提のみでしか自殺が語られないせいで当事者に声が届かないのではないか。

          自殺についてのあらゆる意見が近年聞かれるようになった。特に若年層の自殺についてである。「死ぬくらいなら学校に行かなければ良い」という意見は、いじめや、学校に適応できなかった事で雁字搦めになる子供の逃げ場を重視した考えであり、それ故、(中高年の自殺は減少傾向なのに)一向に減らない子供の自殺を防ぐ思想だという事で、盛んに叫ばれている。 その一方でこのような意見をある。彼ら曰く「逃げて良いというのならば、逃げた後の事を考えなければならない。逃げた後の事や、逃げる事それ自体のリスク

          「人々は生きるべきだ」という前提のみでしか自殺が語られないせいで当事者に声が届かないのではないか。

          自殺を取り巻く滑稽な現状について

          自殺についての話題では、「死んではいけない」という言葉が展開される。勿論、「人が死のうが死ぬまいがどうでもいい」なんてことを、ニュースのコメンテーターが言えるはずもないのかもしれない。まして、相談の大切さを説けば、優しい人物であるということもアピールができる。 他方、自殺について書かれた物語というのも、死という物を救いだと書かない物が多い。当然少数ながら自殺を肯定する小説や物語もあるが、大抵は自殺志望者の周りにいる人々が付き合いながら「何とか生きようね」的に幕引きを迎える作

          自殺を取り巻く滑稽な現状について