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当たり前についての話。

結婚すれば、ウェディングドレスは着るものだと思っていた。
当然のようにマイホームを建てられるのだと思っていた。
子どもがいれば、子どもは毎日学校に行くと思っていたし、
自分次第で働けるから、お金に困ることもないと思っていた。
友達とも頻度は減っても、変わらず楽しいお酒が飲めると思っていた。
嫌になれば離婚すればいいと思っていたし、できるとも思っていた。

わたしが想像するすべて、当たり前ではないのだと自分にいつも言い聞かせているのに、何かあれば「そんなことある?」となる。

そんなことはあるのだ。

幼少期からなんでも当たり前ではなかった。

希望する幼稚園には落選するし、祖父に連れられ親元を離れて暮らす期間もあった。
ピアノの習い事は遠い親戚のところまで通ったし、
帰りには苦手なおじさんに送ってもらって車の中では寝ることにしていた。
そして、連れて行ってくれる人がいなくなったら習えなくなった。
泊まりたくもないのに、いとこに言われると泊まることになった。
帰りたくて一人で静かに泣いた。
大好きだった祖父にはなかなか会えなくなったし、お葬式にも行けなかった。
服はいとこのお下がりだったし、お気に入りの服なんてなかった。
年長になって初めて経験する集団生活でいじめられていたし、
お迎えはいつも最後の方まで残っていた。
週に何度かは母が夜も働きに行っていたので寂しかった。
週末は兄たちのサッカーによく付き合って出かけていた。
家族で出かけている記憶はほぼない。
父はよく出かけて行ったし、ほぼ顔を合わせることもなかった。
両親は喧嘩をするし、父の携帯の電池の中には女の人のプリクラが貼ってあった。
ガスが止まることもしょっちゅうだったので、近くに住む親戚の家にお風呂に入りに行った。
家の電話は出てはいけないし、サンタさんはいつも2番目くらいに欲しいものを持って25日の夜に来た。
給食費を提出日の1日目に出せることなんてなかったし、
なんなら遅れることを自分の口から先生に言わないといけない時もあった。
友達が遊園地に行くという企画も自分は行けず、翌日気にしないふりをするのに必死だった。
年頃になって必要となってくるものも買ってもらえていなくて恥ずかしい思いを何度か経験した。
成人式の準備もまともに知らず恥ずかしい思いをしたし、似合わない色のお下がりの着物を着せてもらった。もちろん前撮りなんてしていない。

自分の不幸自慢をし出せばキリがない。
うちもそんなんだったよなんて言われるか、引かれるか。
誰にも話したことはない。
自分の口できちんと意思表示していれば変わったこともあると思う。
自分でしっかり考え学べば変わったこともあるだろう。
それでも、どうしようもなかった自分の過去たちは葬ることもできずにいて、
また同じことが繰り返されそうなことすらもある。
断ち切ることができないこともあると大人になっても実感する。

わたしの母もなかなか壮絶な経験をしてきていると最近知った。
母もきっとわたしには同じ経験をさせまいと一生懸命だったのだと理解しているし感謝もしている。
それでもやっぱり立ち切れない連鎖はあるのだと思う。
だから、綺麗事は嫌いだ。
明けない夜はなくとも、今は夜だし、また夜はくるのだ。
そして、朝が来たところで問題は解決されていない。

「普通」経験することのない苦い思いを息子には経験させることがないよう努める。
それがわたしの子育てのモットーになっている気がする。
そして、それはたぶん今のところ成功しているが、
わたしも夫も経験したことのなかったことを経験させてしまっている。
「不登校」
いまだに謎すぎて戸惑いを隠せない。
小学生が学校に行くのは一番当たり前だと思っていたことだったかも。
でも、昨日久々に別室登校で1時間だけ学校に行けた。
わたし抜きで。
つまり、わたしの束の間のひとり時間。
小学生がいる親御さん方は当然のように毎日味わっているであろうものが、わたしにはこんなに幸せな時間なのに、なぜか罪悪感もあった。
子どもを初めて保育園に預けた時の感覚だと思い出した。
わたしはまたこれを味わっているのか。
違うのは、これから毎日そんな日々を迎えるわけでもないし、
外に働きに行けるわけでもない。
それでも、当たり前に気づかせてもらえて感謝している。

願うのは、世間の当たり前が自分たちにも選べること。

そして、今自分が抱えている当たり前も忘れないようにしようと思う。
家族4人揃うと、我が家は最強に楽しい。


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