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昨日の世界

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文章を書くこととアイディアを出すことを毎日するために、 #昨日の世界 を書き始めました。Wordleを解いて、その言葉から連想される物語を、解くのにかかった段数×140字でその日…
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2022年10月の記事一覧

高雅で感傷的なワルツ

 夜になると店の前にぼんやりとした灯りがついた。知らなければ通り過ぎてしまうほどの明るさだったが、近づいてみると確かにガラス戸の「カフエー へいあん」の文字を読むことができた。その扉を開けると暗い廊下の先にまた扉があるのが見える。そこを開けると部屋の天井から急に降りかかるキラキラとした光に目が眩むが、慣れてみるとやっぱりそれほど明るくない、しかし、奥が見えない上に壁一面がガラス張りだったから、実際よりもずっと広く感じられた。  奥の方にぼんやりと見える黒い塊は、こういう店に

高貴にして優雅なワルツ(前編)

 夜になると店の前にぼんやりとした灯りがついた。それと知らなければ気付かずに通り過ぎてしまうほどの明るさだったが、近づいてみるとガラス戸に確かに「カフエー へいあん」と書いてあるのだった。  扉を開けるとこれも暗い廊下があって、その先にまた扉があるのが見える。そこを開けると急なキラキラとした光に目が眩むが、慣れてみるとやっぱりそれほど明るくない、しかし、奥が見えない上に壁一面がガラス張りだったから実際よりもずっと広く感じられる店構えだった。  壁際にテーブルがいくつも置いてあ

仇討ち取り扱い

貴殿の書状は拝読した。仇を討つ一念で幼少からの厳しい剣術修行、諸国放浪、そして艱難辛苦を耐えたことが伝わるものであった。ようやく仇を見つけこれを討つことの喜び、はやる気持ちも手に取るようにわかった。しかしながら、申し上げねばならぬのは、拙者は貴殿の求める仇ではないということだ。 拙者の名前を間違えているのは致し方がない。しかし、拙者は加賀藩ではなく越前松岡藩であり、それを取り違えているのは致命的であろう。また、「見紛うことなき貴殿の右肩の傷」とあるが、見えないところの傷をど

雨傘の下に

1人になりたい、でも1人は嫌だ、となったのでカフェのテラス席に座っていた。テーブルから出ている大きな傘型の覆いに何か当たってるな、と思ったら急に土砂降りになった。室内に入ろうにも傘がない。どうしようかとぼんやりしていると、いつの間にかテーブルの上にカラスがいた。 「どうして!?」と思わず言ってしまった。するとカラスが肩をすくめて「へへへ」と言った。まさかカラスがそんなふうに答えると思わないから面食らっていると、猫もいる。「え? なんで?」と言うとまた肩をすくめて「へへへ」と

見守りロボはいつでも安心

「いや、クリスマスいや!」 スーパーの通路で息子がしゃがみ込んでいる。 「今それ買うならクリスマスにサンタさん来ません!」 「サンタさんいや!」 「約束したでしょ、ヤクルト買うならお菓子買いません」 「ヤクルトいや!」 その場にいても埒があかないのが今は画面越しだからどうにもできない。 昼過ぎに娘の「明日これいる」が発動し、妻も私も無理だから仕方なく見守りロボを買い物に出した。必然的に息子も外に出ることになる。一緒に買い物モードがあるから油断してスーパーで他の用事も指示して

ルールは破るためにある

「ルールは破る時の快楽のために厳守すべきだ」というのを彼は頑なに守っていて、つまり普段はルールを守っているのだから何も問題はないはずなのだが、そういう人に限って私らがいかにルールを守っていないかを説教してくるのでうざい。しかも世間一般の規範と自分ルールと混ぜているからややこしい。 「人にとやかく言うのも禁止ってルールに入れてくれない?」 そんなこと考えてもみたこともなかったみたいな顔をしたので余計に腹が立った。しかも後日「検討の結果、あれはルール化されないことになりました」

港を出る前に

「この科学技術の発達した時代に霧で出港できないってどういうこと?」 マロウズがイライラしているのも無理はなかった。乗船時間に遅れないために出港の2時間前に港に来たことを考えるとここでもう4時間も過ごしている。暴れ出したって構わないようなものだが、不思議とアンソニーは落ち着いていた。 「仕方ないよ、この時期はよく霧が出るんだから」 「レーダーだってなんだってあるんだから見えなくたって出られるはずだ。怠慢じゃないか」 「ここまで運転してくるのだって相当危なかったのに、こんな図体

月曜から飲む

新製品のリリース時に部署間の連携不足からのまさかの大事故が起こってしまった。金曜朝からずっと処理にあたってようやく月曜の晩に解放された。もうどうしようもないので飲みに出かけた。でも人の多い飲み屋には行きたくないから、ランチ利用したことのあるバーに入ってみることにした。 メインストリートに面していて窓も大きいからランチもしてるんだろう。だから会社帰りの人に見つかるかも知れなかったがもうそれもどうでもよかった。むしろ見つかって一緒に飲んでもいいくらいな気分だった。いつもは会社を

真夜中のコインランドリーで

 誰だって一旗上げたいと思ってやってくる。そんなやつばっかりこの街にいる。だから、結局、最後までフラッグを離さないやつが勝つのさ。 ミイラは携帯を見ながら狼男が話すのを聞いていた。午前2時のコインランドリーには他にカップルと小太りの男とがいて、狭い店内は賑やかたっだ。 ミイラにはコインランドリーは快適だった。来日して日本の湿気に気付いてから必死になって乾いているところを探し続けていた中で、洗濯するという必要に迫られてやむをえず訪れたのがコインランドリーだった。水の力は極力抑

初ライブ

「こんなことやっちゃっていいのかな?」 鹿島が震えているのがわざとなのかどうか薮ノ内にはわからなかった。こういうところで「尻(けつ)を持てない」やつだとは思ってはいなかったが、何しろことがことだから始まるという段になって逃げ帰るというのもあり得ないことではないかも知れない。 考えたことは周りくどかったが聞き方は単純だった。 「帰る?」 鹿島は狼狽えた。 「いや、帰らないけど…」 「なら、いいじゃん」 薮ノ内は前を向いて黙ってしまったので鹿島も虚をつかれて何も言えなくなってし

インタビュー抜粋

ーーー木を隠すには森に隠せという諺が人間にはあります。 「もちろん、カラスにとってはこの諺は意味がありません。私たちは自分たちのテリトリーの木ならば一本一本把握しています。」 ーーーそれはカラスに特有な能力でしょうか? 「いえ、森に住む動物なら持っているのではないでしょうか。」 「私たちは常に危険と隣り合わせですから、自分たちのテリトリーのことをできる限り把握しておく必要があります。特に目印にも住処にも餌場にもなる木の情報はできる限り覚えておく必要があります。」 ーーーその

ズボン全自動販売

服を買いに行って店員さんに話しかけられるのが嫌というのは完全に客の都合で、郷に入っては郷に従わなければならない。でも店員さんと話すのしんどいし特にズボンはサイズ測られたりしてほんとに嫌だし、と思っていたら全自動のズボン販売店ができたというので行ってみた。要予約に嫌な予感はしたが。 店というより証明写真の機械を少し大きくしたようなブースで椅子に座ると画面で案内が始まる。 「こんにちは! ようこそ自分らしさを見つける旅へ。お手伝いさせていただくミッチです、よろしく!」 あーこう

夜の街を歩く

「海岸沿いに堤防があって、別に高くはないんだけど、まあ子供の胸くらい、大人の腰くらいかな。その上は人が一人歩けるくらいになっていて、そこを僕と弟が歩いてたら、祖母がも上がってきて少し歩いたと思ったら落ちたんだ。そこで決まっちゃったね。僕はずっとこういう道を歩いていこうって。」 一人しか歩けない歩道の縁石の上を彼が歩き、私は自転車を押しながら車道を歩いている。 「どう思う?」 「わかんないけど、すごい鼻につく。」 「そうかも知れないなあ。でも、大人だから、危ないことはしないし

世界が存在した記録

世界の終わりが来ることになったので、世界が存在した痕跡を残そうとする活動がいよいよ活発になった。その中でも特に多忙を極めたのは剥製作りである。来るべき日に備えてあらゆる生物の剥製を残す計画はずっと進行していたのだが、とうとうそれが真価を発揮する、発揮せざるを得ない時が来たのだ。 もちろん、コールドスリープなど生物を生きた状態で残す試みは同時並行で行われている。しかし現在の技術では動力がなければ生物の入った装置を維持することができず、動力源が破壊されれば何も残らない。その場合