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20230129性で別れる

 性によってたったいくつかの種類に別れるのが苦手だ。正確には、性で別れてしまうのが悲しい。
 性で別れていなければ、と思うことが多すぎる。

 自分は男に生まれた。
 恋愛対象は女の子だ。
 なので大多数と一緒ではある。

 自分の性が何かと聞かれれば、「男」だと答える。そこに疑問や違和感は無い。生物学上の性別を受け入れることはできる。女の子になりたいかと聞かれたら、「いいえ」と言うと嘘になる。「こんなひとになりたい」という憧れの人物像は女性が多い。かと言って、心が女の子というのも半分違う。
 自分の中で一度出た結論として、「自分は男の体で女の子の心で女の子を好きになる」のかな、と思ったこともある。なんか違う気がしたので撤回した。

1. 女友達

 小学生の頃まで遡る。もともとインドアで、休日は家で絵を描いたり工作をしたり本を読んだりするのが好きだった。公園に野球やサッカーをしに行く友達とも遊んでいたが、家でひとりだったり弟妹とだったり遊んでいるのが好きだった。
 小学校高学年から中学校に入るにかけて、男子たちはPSPでモンスターハンターをやったり、ゲーセンに出かけていくようになり、一緒に遊ばなくなった。変わりに、アニメやラノベが好きな女の子の友だちができた。
 それとは反対に、印象的なエピソードとして、それまで一緒に歩いて帰った女友達から家の前で「バイバイ」と手を振られ、「…じゃあね」というのが精一杯、「バイバイ」とはこっぱずかしくて言えなかった程にうぶで、女の子と関わるのが恥ずかしかった。
 中学校3年生の前期、隣の席になった女の子ととても仲良くなった。嵐が好きな柔道部のボーイッシュな女の子だった。Stillと素晴らしき世界を教えてくれた。その子のことをぼくは異性としてと好きになることはなかったけど、大好きな友達だった。
 後期になって、同じ班になった女の子と仲良くなった。ある学校帰り、その子のお家の悩みを公園で聞きながら長々と喋ってたら、いつまでも家に帰ってこないからと親が学校に連絡して学校の先生が探しに来てクソ怒られた。変な思い出だけど、そんな事ができるほどには異性の友人が成立するようになっていた。

 高校一年生、クラスの女子に「きつねは男の子だと思ってない!笑」って言われた。ここが完全な分岐点だと思う。
 以降、男子の友達ももちろん居たけど、僕が好きなのは体を動かすことより、のんびりお喋りをすることだったし、男子と遊ぶのはしっくりこなかった。
 高1のある夜23時、両親が喧嘩をしているのを見てどうしょうもなくなって「散歩してくる」と家を飛び出した。そしたら、クラスの女の子が「よく深夜、家を抜け出して散歩しているから会おうか」と声をかけてくれて、一緒に歩いた。その日はきっと深夜1時とかには家に帰ったのかな。
 以降、心がざわついた夜は家を出て、歩きに行った。だいたいその友達と一緒だった。時効だと思ってるけど、高校の外装工事の為に組まれた足場を昇って高校の屋上から校舎に侵入して歩いたこともあった。お喋りをしながら歩く、そんな遊び方をする男子はいなかった。

 大学の友達は女の子ばかり。部活も女の子の方が比率多かったし、学科内でも気が合うのはやっぱり女の子だった。
 女4、男(自分)1で出かけた日、外でのアクティビティを予定してたけど悪天候で中止になり、別プランを考えていると、その頃流行り始めだった「お風呂カフェに行こう」という案が出た。どういうとこか知らなかったから「お風呂出たとこは男女関係なくいられるとこ?」って聞いたら「あ、そうじゃんきつね女の子じゃないじゃん」と。それくらい自分は男として意識されていない。

2.恋愛とSEXとオナニー

 もちろん、恋愛はしてきた。女の子を好きになり、女の子と付き合い、SEXだってした。その点では自分は男だと思った。ただ、自分が男であると自覚させられるからSEXは嫌いだった。相手への愛情と性的欲求の境目なんて分からないけれど、いずれにせよ体は反応して、裸で相手と身を重ね、そんな自分を客観視して反吐が出る、と思った。未だに自分が生物的な本能で女性に対して興奮を覚える度に反吐が出る思いがする。
 相手への愛情の表現方法としてSEXをしたいと思うことももちろんあるが、理性は、しなければいけないかと頭を抱える。別にこれは仮に同性に対して性的興奮を覚える嗜好だった場合も同じだろうし、自分の体が女の子でも同じだと思う。「性」と直面させられる時間だから、SEXが苦手なのだ。
 だから、性を意識しないで、ただ相手に夢中になっている時はSEXしたいと考えることもある。
 わけわかんないな。自分でも分からない。

 あと、行き場のない性的欲求は発生するので、普通に一人ではする。興味深いのは、いわゆるオカズとして、ごく男性向けなAVを見るが、時折、女の子側の気持ちになって興奮することがある。だから、レズ物も好きだったりする。ホモも美形の男子同士だったら有り得る。めったにないけど。

3.ひとを好きになるということ

 ここで、「人を好きになる」ことが自分の中で人と違うのでは、と考えることになる。
 ぼくは恋愛においても、友人関係においても、とにかく「人として好き」になっているので、性別を意識していない。特に、自分の性を意識していない。もちろん、相手の性がどちらであるかということも考えていないけれど、傾向として女の子を好きになる。自分が女の子への憧れがあることも関わっている気がする。性的対象ではなく、崇拝を含むことが多い。「あこがれ」から、その子を見ていたい、と思う。もっとも、より親しくなって行く段階については「居心地の良さ」とか、ごく普通な感情によるものなんだけれども。

4.ファッションと「男らしさ」

 もう少し。自分は女の子のファッションを見るのが好きだし、化粧を見るのが好き。完全に憧れ。自分も小柄で可愛い顔立ちなら着てみたかったしやってみたかった。女の子がパンツスタイルにするかスカートスタイルにするか選ぶように、自分にも選択肢が欲しかった。幼稚園の頃、駄々を捏ねて親に頼んでスカートを履かせてもらったことがあるらしい。それが何を意味するか分からないけど、性嗜好抜きで、可愛いものは好きだし、綺麗なものは好きだし、なれるものならなりたい。
 余談だけど、女の子のメイクや髪型の変化によく気づく。男がそこまで気付くだなんてちょっとキモイかなレベル。こういう思考が必要なのもうざったいな。

 「男らしい振る舞い」はものによるけど嫌いじゃない。総じて、ジェントルマン思考は好き。女の子に、他者に、優しくすることは好きなので。
 車道側を歩くのは好き。エスカレーターで下に立つのは好き。お会計でとりあえずお金出すのは好き。いずれも、男相手でも(年下に対しては)するので、性別は関係ないと思う。
 なよなよすんなとかは嫌い。「男なら泣くな」とか嫌い。「可愛いのものが好きなんて」とか嫌い。
 そんな感じ。

5.けっきょくのところ

 思うままに書いてきたけど、要は、「自分が男だとか、相手が男だとか女だとかそういうのがダルすぎる」。人として生きていたい。男でも女でもない、自分。きつねという性別。70億の性があるって事でいいじゃない。その中で生物学的な凹凸で子孫を残すのはそのパートナー同士の自由。
 自分が自分であるがままにいられる時間が好き。自分が男であることを意識させられる時間が嫌い。
(2022/01/29 21:04)

 あとがき:けど、自分のことを男として意識したうえで仲良くしてくれる貴方を嫌いになることはないです。自分に対して(友達であれ、知り合いであれ、恋愛であれ)好いてくれること自体は嬉しいことだし。それは自分は「きつねを好いてくれている」と捉えるので、問題無いのです。いつもありがとうございます。

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