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娘の向こう側の記憶にない幼いわたし
子育てはわたしが生きてきた人生の中で間違いなく断トツ一番にハードで難しい。
そして断トツで幸せに溢れている。
そんな中で、子育てを経験して自分自身がよかったと思うことがある。
それは、娘を通して自分自身の小さな頃を知り、その小さな自分をもう一度辿れる様な気がすること。
記憶にある一番小さな自分は何歳だろうか。
わたしは幼稚園で過ごした断片的な記憶が一番古い。大好きな先生がいて、卒園式は号泣だった事は映像と共に今でもはっきりと覚えている。
それより前は記憶に残っていない。
その、正に記憶にない期間を娘と過ごしている。
わたしのお腹の中で言葉通り一心同体一緒に生きている時、
この世に迎え入れられた時、寝返りを見守った日々、
高熱を出し心配で寝れなかった夜、
立ち上がり手を繋いで散歩出来る様になった時、
大好きを伝え合える様になった今。
どの瞬間も娘を大切に想う気持ちで溢れていた。
もちろんイライラしたり、怒れたりする気持ちになる時もあるけれど、
我が子とはこんなにも愛おしいものだと、娘との日々の中で知った。
そして、それは今まで知っているどんな感情とも違っていた。
ちなみに出産前は特に子どもが好きとかではなく、
飼い猫より可愛いと思えるか密かに少し心配していた。笑
そんな事全くなかった。
悪戦苦闘しながらそうして一日一日を娘の成長と幸せを願いながら共に過ごす中で、
小さなわたしもこんな風に日々を過ごし成長していったのか、
そして、こんなにも愛される存在だったのかと実感する。
記憶にない自分自身を娘の向こう側に見ているようだった。
幼少期、幸せなことばかりではなかったわたしにとって
それはわたし自身への癒しの旅だった。
大好きだよと娘をぎゅっと抱きしめるように、幼かった小さな自分も抱きしめる。
子どもを産み育てるという経験がなければきっと一生分からなかった。
そして今はまだその旅の途中。
この話はいつかもう少し書いてみたい。
さて、そろそろ旅の新しい一日が始まる時間。
2.26 Mon
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