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「今も昔も変わらない月」

―中尾
11月と言えば、出雲では「神在祭(かみありさい)」というのが行われます。

―澁澤
10月ではないのですね?

―中尾
旧暦の10月ですので、現代では11月になりますね。
全国では神無月ですが、出雲だけは「神在月」といいます。
皆さんよくご存じだと思いますが、全国の神様がこの日に出雲に集まって、「縁結びの会議」をしてくださいます。

―澁澤
ロマンチックですね。

―中尾
ロマンチックですよね~。
行かれたことはありますか?

―澁澤
出雲に行ったことはありますが、神在祭には行ったことはありません。

―中尾
私は行ったのです。また、一番か…といわれるかもしれませんが、私が一番好きなお祭りです(笑)

―澁澤
どんなお祭りですか?

―中尾
全国の神様は海からやってくるので、出雲の稲佐の浜というところでお迎えします。今年はコロナで叶いませんでしたが、そのお祭りは基本的にはどなたでも参加できます。
稲佐の浜にロープが張ってあって、その外側であれば自由に見ることができます。私が何年か前に行った時は雨で、とても残念でしたが、早めに行って、一番前に陣取りました。
神様をお迎えする準備として、波打ち際に2m四方くらいの正方形の深い穴が3つ掘ってあります。
午後7時くらいに神職さんたちがお見えになって、真っ暗な中、その穴に火を焚かれます。火がゴウゴウと燃え始めると、急に風が吹いてきて、雲が追いやられて、月が出ました。そして、雨がやむのです。風が吹くから波音がして、ザパーンという音と、火が燃えるゴウゴウパチパチという音がして、そして、神職さんの祝詞を読むというのではなく、オオカミの遠吠えのようなウオーという声がして、自然の中のすべての音が一体となって、「あー、神様がお見えになったんだなー」ということが感じられるような、そんなお祭りなのです。
その波打ち際の火が燃えている手前に神棚が拵えられて、そこには神籬(ひもろぎ)が二つと、その間に龍蛇神様がたぶんご神体として設置されて、全国の神様をお迎えします。

―澁澤
龍神さんがお迎えするのですね?

―中尾
龍蛇神様ですね。
神籬に神様がお着きになります。
到着されると、息を吹きかけないように、神職さんは白い布で口元を覆って、さらに神籬を大きな白い布で囲って、お神輿のように担いで、住宅街を通って出雲大社に向かわれます。
その住宅街は緩やかなカーブが続く地元の細い通りで、両脇にはお家の玄関がすぐそばに迫っていて、お着きになった神様がお通りになると、皆さんそれぞれにお家から出てこられて、手を合わせてお参りされるのですが、その姿がとても自然で、この地域の人たちは古くからこうして神様をお迎えしてきたのだなあと、心が温かくなります。

―澁澤
西洋の神様は偶像がありますけど、日本の神様は気配で感じるのですよね?

―中尾
日本の神様も「ご神像」というものはありますけど、気配ですね。

―澁澤
気配を共有する感覚って良いですね。

―中尾
良いですよね。そういう言い方をしてよいかどうかわかりませんが、日本人がつくる神様のお話ってなんだかとてもかわいいですよね。

―澁澤
その神籬に、小さい神様がたくさんついていらっしゃると思うとかわいいけど、それよりも、神様という形にならないものだけど、あきらかに何か波長というか、心打つものを感じられたというだけでうれしくなりますよね。

―中尾
そうですよね。微笑ましいですよね。神様のお話って、どこにいても、どのお話も微笑ましいです。
以前澁澤さんに教えていただいた、年末に神様がお湯に浸かりに来る神事もありましたね。

―澁澤
霜月祭りですね。
あれも全国から神様が来るのですが、あそこは山の中なので、海岸で迎えるのではなくて、お湯を立てて、そこを清めて、そうすると、声をかける人が「アマテラスオオミカミ様、お着き~」って、神様を一人一人呼んでいって、それに合わせて一番一番神楽を舞って、神様がお湯に入られるというお祭りですね。
遠山郷といわれている天竜川筋の一本東側の谷筋ですけど、その辺りではずっと行われています。
それが奥三河まで下がってくると花まつりという有名なお祭りがありますが、それも基本的には同じ原理です。全国からそうやって神様が集まってくるという感覚が日本人特有のもので面白いですよね。

―中尾
出雲は、国津神さんといって、もともとその土地にいらした神様が祀られています。

―澁澤
日本に最初からいた神様の系統ということですね?

―中尾
その頃は日本かどうかまだわからないので、その土地にいらした神様ということですね。
天津神さんというのが、天から下りてこられた神様です。

―澁澤
今の天皇家は、その天津神さんの末裔ということですよね?

―中尾
そうです。出雲には国譲りという神話がありますが、何で神話が面白いかというと、神話ができたのって、二千年も前のお話ですよね。二千年間も語り継ぐってすごいですよね。

―澁澤
語り継ぐってね、伝言ゲームってどんどん内容が変わっていくじゃないですか、だから根拠のない怪しげなものだといわれることもありますけど、ネイティブインディアンの人たちの口伝と呼ばれているものとか、日本の古事記とか、口伝で伝えられてきたものってありますよね。ネイティブインディアンの人たちが口伝で伝えるのは、特別な人たちなのです。それは、気配として物事をとらえられる人たち。
例えば、お父さんが歌を歌ってその歌を覚えるのですが、「自分が歌った歌ではない歌詞で、もう一回今のことを歌え」と子供にいうのです。つまり、民族の歴史を、「要するにこういうことなんだ」と、その中心の部分、まさに気配にあたる部分を感覚として持つことができる人間だけが、民俗の歴史を伝えていく、口伝をしていけるというポジションにつけるというのが、アメリカのネイティブインディアンではよく言われていて、たぶん日本でも同じだと思うのです。だから、ニ千年伝えられてきて、現代人は面白おかしくとらえていますけど、意外と本質がちゃんと語られているのかもしれませんね。

―中尾
そうなんです。一つ一ついろんな物語がありますけど、どれをとっても、今の私たちに通じるものがたくさんあるのですよ。それが面白いと思ったのと、このニ千年の間には、戦国時代も明治維新もいろんな時代があったのに、変わらず伝えられてきて、物語の根本的なところは変わっていないと思いますので、人間はどんな時代に生きていても考えることは同じなのだなと思うのです。

―澁澤
春夏秋冬はあったんですよ。朝起きて、一日何回かは別にしても、人間がご飯を食べて排泄をするという行為もあったんですよ。朝日が昇って、夜陽が落ちて月が上がってきたのですよ。そのペースに合わせて人間は生きていたわけで、原理は変わっていないのですよね。
いまの私たちの暮らしは、それ以外のものがあまりにも多すぎるんですね。そっちはどんどん日進月歩で進んでいきますから、それ以外のものが自分たちの人生や生活を決めているような気になっているけど、その神話の時代と今と、生きるという基本は変わっていないと思いますね。

―中尾
古い夜と書いて「いにしえナイト」という神話の演劇を作って赤坂の日枝神社で上演したことがあるのですが、なぜそれをやりたいと思ったかというと、使わせていただけるところが、年に一度中秋の名月を観るために特設される舞台なので、神話ができた頃と変わらない同じ月を見ながら、その物語を聴けば、いにしえの人たちに近づけるかなと思ったんです。

―澁澤
その世界では時間は進んでいかないのですよ。時間が進んでいかない世界の中に神話があるのです。なおかつ、昔はその部分がとても大切だったのに、今はその部分をほとんど忘れてしまっているということですよね、私たちの暮らしは。

―中尾
そうですね… そう… 私は神籬に神様がとまることに感動したわけではなかったんですね…

―澁澤
音から、においから、全てのものが入ってきて、そこにある種の気配を感じて、そのある種の気配は千年前の人も二千年前の人も同じように感じていて、それがまだ祭りとして、今日も残っているということですよね。

―中尾
そういうことですね。
それは伊勢神宮で感じた風の神様と同じだったんですね。

―澁澤
同じだと思います。そこに人生の軸を置くと、あまり悲観したものでもないですよね。

―中尾
いや、全然しませんよね。というか、そこに自分が生きている実感があります。

―澁澤
取り残されるとか、私たちの年代だと年を取って忘れられるとか、そういう寂しさがなくなりますよね。

―中尾
そうですね。見方ですよね。どこを視点とするかですね。

*写真は、小笠原真紀子さん提供。

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