美を追求して
20年前の私の髪型は絶妙なバランスのシャギーヘアだった。
20年前の私は25歳である。女の一番美しい盛りだったように思う。
当時の私は如何に美しく在るか、美を磨くかに必死だった。
同世代の女友達も美に敏感だった。
絶妙なバランスのシャギーヘアは当時の女友達に教えてもらった美容院だからこそ可能だった。
その美容院は大阪のミナミに在った。その店のある男性美容師の腕が抜群だったのだ。
彼のカットの技術の凄さは素人の私にも分かるものだった。
シャギーハサミを使わず、幾重にも髪を分けて美しいラインに切り揃える。
そのカットの技術は彼のこだわりと経験がなければ成り立たないものだったろう。
そんな彼だから評判もたちまち広まっていた。
彼はおそらくチェーン店だった店を辞め、独立して店を構えた。
その店舗を同じ女友達が教えてくれた。私は彼を追いかけて同じミナミに出来た新しい美容院に行った。
その店に来る女性は皆、彼目的だ。彼の魔術のようなカットの技術に身を委ねに来るのだ。
そこでは、一人の美容師が同時に3、4人の女性の髪をカットすると言う異様な光景が在った。そうしないと、カットの人数をさばけなかったのだろう。
私も切ってもらったが、困った現象が起きた。
カットする髪と言うのは、幾分湿っていなければならない。
ところが、同時に3、4人の髪をカットするので、時間が経ってしまって、髪が乾いてしまうのだ。
乾くとまたスプレーで湿らして髪を切る。その手間以上に、待たされる時間が耐えられなかった。たかがカットに1時間以上かかるし、その理由にも納得が行かなかった。
彼も余裕が無かったのだろう。美しく仕上がってるはずのカットには魅力を感じられなくなった。何かが足りないのだ。
店内を見渡すと、同じ髪型の女性が並んでいた。彼はシャギーヘアの量産をしていたのだ。
美しいシャギーヘアには個性を感じられなかった。
美しさとは個性がきわだつ様だと気付いたのだ。
それからはその美容師の元には行っていない。
シャギーヘアの流行も去った。
女友達とも自然と離れた。
今は美容師は特に指名せず、なりたい髪型をしっかり伝える事だけ気を付けている。20年前の私には出来なかった事だ。
流行を感じとりながら、自分らしさを引き立たせる。美容師に任せっきりでは、美しさは手に入らない。そんな真理を20年前の私は気付く事が出来なかった。
経験と個性が美を磨く。美しい髪はそう簡単には手に入らないのだ。
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