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献血に行って、救われたのは僕だった。

去年の9月、僕は人生で初めての献血に行った。その時の話をする。

名古屋の街を歩いている時に、献血の看板を見かけて、看板の先にある献血ルームに衝動的に入った。

当時の僕といったら、仕事で上手くいかず、とにかく落ちていた。あちらこちらに仕事で飛んでいき、あちらこちらで成果を出さずに帰ってくる。それはもはや、あちらこちらへ移動している人である。メンタルが弱い僕は完全に心が折れていた。存在意義までわからなくなるほどに。

手続きや血液検査を済ませ、待合室で名前が呼ばれるのを待った。

実は看板を見かけた他に、もう一つ、献血をするに至る理由があった。

去年の夏、水泳の池江璃花子選手が東京オリンピックの舞台に立った。ただ立ったわけではない。若くして白血病を患い、それを克服するだけには留まらず、さらにはオリンピックの舞台に立ったのだ。そして、その泳ぎをもって、日本中の人々、いや、それだけではなく世界中の闘病中の方々に夢や希望を与えた。

その姿を見て、僕みたいなあちらこちらへ移動だけしている人間は、否応なしに献血に行かなければならないと強く感じた。

名前が呼ばれ、待合室を後にして、実際に採血をする部屋に入った。採血量は200mlか400mlのどちらかを選べるのだが、僕はもちろん400mlだと、鼻息荒く答え、採血が始まった。

歯医者で治療を受ける時のようなリクライニング式のシートに座り採血されるのだが、小型テレビなども用意されており、チャンネルも自在に変えられる。至れり尽くせりだ。そういえば、お菓子もくれたし、レッドブルで僕に翼を授けようともしていた。きっと、献血ルームの人は僕が翼の折れたエンジェルだと知っていたに違いない。絶対そう。

採血が終わり、体の不調もなく、15分くらい休憩した後、献血ルームを出た。

外の空気を吸い込み、周りを見ると、サラリーマンやオフィスレディ、学生が街を忙しなく歩いていた。

僕はそこで気づいた。僕はちょっと元気になっていた。きっと、献血をすることで社会の役に立ったことが嬉しかったんだ。きっと、どこかの誰かがその血で救われることが誇らしかったんだ。きっと、自分がこの社会に存在してもいいと久しぶりに思えたからなんだ。

救われたのは僕の方だった。

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